korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

自分というものがわからないと他人のアドバイスは受け止められない

 晴れ。朝は寒い。

 

 昼間は夏日の予報。

 

 気温の変化への対応が大変だ。

 

 花粉症なので窓は開けづらい。

 

 早くもエアコンの出番か。

 

   

 

        夢を見た

 大勢の学生と電車に乗っている。修学旅行らしい。

 

 修学旅行なのに普通の電車だ。変だとうっすら思う。

 

 ヒヨシという駅で乗り換える。

 

 各駅停車に延々と乗り終点までくる。外は真っ暗だ。

 

 電車を降りる。なぜか電車の運転席の荷物を持ち、詰め所に置く。

 

 学校の行事と鉄道会社の仕事が混ざっている。

 

 一緒にいた男子は当然といった顔をしている。

 

 また電車に乗る。ヒヨシを通り越し反対側の終点で降りる。

 

 キヨスミシラカワという駅だった。なんか変だと思う。

 

 外は明るい。住宅地の中を歩き別の路線の駅に着く。

 

 皆はよく迷わずに行けるなと感心する。

 

 と同時にこんな無計画な修学旅行はおかしいと思う。

 

 また電車に乗る。

 

 これだったら一日フリー切符を買ったほうが得だった。

 

 そう言うがまわりは無反応だった。(いいことに気づいたと思ったのだが)

 

 すぐ次の駅で降りる。オンダイマエという駅だった。

 

 またぞろぞろと歩き出す。あまりに無計画すぎて不安になる。(終わり)

 

 

 

       思ったこと(やや長めの込み入った話)

 目が覚める。修学旅行か。懐かしいな。楽しい思い出ではあったが旅は少数か一人で行くものだと思った。登山もそうだ。

 

 

 

 また昔のことを思い出す。団体行動も苦手だし他人の意見を聞くのも苦手だ。

 

 具合の悪かった昔、何人かの占い師のところへ行ったことがあった。

 

 

 その1:都内繁華街の雑居ビルで男性の占い師。

 

 私が引きこもり気味なんですけど、と言うと

 

「引きこもりがこんなところに来るかっ」と速攻で言われた。 

 

 生年月日などのデータで占うタイプの人だった。

 

 私も10代のころ四柱推命の本を読んだことがあったが、それによって得られたこたえが自身やこの世界と何の関係があるのかわからなくてやめた。

 

 それを言うと、「他のいろいろなものと絡めて考えるんだよ」と少しイライラしながら言われた。

 

 (今考えると結構失礼なことを言ってしまった気がする)

 

 これからの人生は学問や研究に従事することになる、というのがその占い師の見立てだった。

 

 

 その2:関東地方某所。女性の占い師。

 

 自宅で仕事をされている。その1の占い師の人もそうだが自分みたいな怪しい?人間でも普通に受け入れてくれるので楽だ。

 

 独自に見出した手相や人生に対する考え方によるアドバイスを熱く語ってくれた。占いというよりもこう生きろ、というメッセージだった。

 

 このかたが書いた本を読んだがかなり苦労をされているよう。占い師はこういう謎のトラブルに振り回される人が多い。

 

 

 その3:私鉄の駅前のビルで女性占い師。

 

 エネルギーワーク、というものを受けた。気功などもそうかもしれないがこちら側がある程度それに習熟していないと難しいと感じた。二人でダンスを踊る感じ。

 

 

    書いていて思ったこと

 占いはなんとなく受けていては効果はない。それに以前も書いたが私の場合抱えている問題が多すぎて自分で自覚して対処することが困難だった。

 

 そういうことだった。自分なりの意図がわからないと意味がない。わからない人は占いだけでなく本やカウンセラーなどから得た情報を理解して取捨選択することは難しい。

 

 

 

 ネットや本で読んだ虐待などのひどい目にあった子供がスピリチュアルなものとつながって会話できるようになる話。あれが少しわかった気がした。(勝手な解釈です)

 

 話す人がいない。話す人がいても情報があまりに込み入っていて過酷で伝えることが難しい。(そもそも伝わるような性質の情報でない。日常には比較するもののない話)

 

 ただでさえ劣悪な環境で育ち、具合が悪く自分を表現する訓練もなされていないのに。

 

 ある程度普通の?環境で育たないと”普通の”アドバイスはまったくわからない。

 

 カウンセラーなどにニコニコされながら「わからないです」と言われて余計傷ついてしまうということも起きる。たとえそれが本人に考えさせるためや依存されることを防ぐためであっても。(カウンセリングの理論はわからないけれど)

 

 いくら言っても伝えきれないしわかってもらえない。余計傷つくしそれが新しいトラウマになる。

 

 そもそも他人のことなどわかるはずなかった。最初から間違った努力だったのか。

 

 

 それよりかはデタラメでもいいからすべて受け止めてもらえたほうがよっぽど助かる。こんがらがった情報をバイパスしてすっきりできる。

 

 なるほど。人間では無理かも。

 

 なぜか中島みゆきさんの「孤独の肖像1st」という歌を思い出した。雰囲気的なもの?

 

 歌も理屈でないところからすっと入ってくる。そこが似ている。

 

 地面に穴を掘って「王様の耳はロバの耳」と言った童話にも少し似ているか。そんなアホな話誰も信じない。だからそうでもして言わなければ持たない。

 

 

      まとめ

 書いてみてなぜ占いや”立派な”・”普通の”アドバイスが身につかないのか少しわかった気がする。

 

 わかったのはよかったが、悲しい話でもあった。

 

 普通は無理だわ。聞いてもわからないし。

 

 

 なんとかして自分の”まとも”を探すしかない。