晴れ。
ものすごく寒い。
買い出しに行く。
乗っている電車が急停車する。安全確認のため、とアナウンスがある。
とたんに、乗客の皆のスマホが鳴り出す。通知? なんだろ。
どこかに電話する人たちも数名いる。
申し訳ございません、と何人かの声。そんなにギリギリの時間で動いているのだろうか。
わかるけれど、ここまでたくさんの人数がスマホで騒ぎ出す?のははじめて見た。
駅で降りる。この駅もすっかり変わってしまった。工事中でかつての姿は見る影もない。
全く変化が早すぎる。ついていけない。・・・いくらなんでも変化しすぎじゃないか?
降りる駅ひとつ間違えた。歩く。
ホームセンターで買い物。ものすごい品揃えだ。・・・えーと何を買いに来たんだっけ。
こりゃ買い物も一苦労だな。でっかい倉庫の中で商品を探して歩いているみたいだ。
代わりに探してくれて配達してくれるのがAmazonなどの業者か。そうか、もう自分で来る必要もないのかもな。
やっぱり世の中変わってきた、と今更ながら思う。
店を出て歩く。
川を渡る。風が強い。とても寒い、なんてレベルではなく、バッカじゃないの、とか、アホか、とか思うレベルだ。
そんな中でカメラを出して写真を撮る。そしてこんな状況で写真を撮るおバカさんは私だけではなかった。すげーな、みんな。
歩きながら考える・思い出す。うちの中の問題。
少し前、昔の母が映っている動画が母の知り合いから送られてきた。
それを母と一緒に見た。亡くなった姉も映っている。姉は重度の知的障害者だった。
他に映像に映っている人たちは、障害を持っている子どものお母さんたちと施設の先生だ。
言い方はおかしいけれども、皆攻撃力の高そうな人たちに見えた。
そりゃそうだろう。当時は制度も施設も、そして世の中の理解もまだまださっぱりの時代で、その中で偏見や何やらと戦ったり、自治体に陳情などをしてきたのだから。
でも自分が気になったのは、母の表情だった。目が完全につり上がっている。かなり変な精神状態になっているのが見てとれた。
私は素人だからよくわからないけれども、今の自分だったらこの人には絶対に近づかないだろう。
それと同時に納得がいった。こんな表情の精神状態だったら子どもに暴力を振るうだろう。
子どもの面倒を見ながら、同時に暴力を振るう。
小さい頃、母が怒り狂って姉の服をつかんで引きずり回しているのを見た記憶がある。
どうしてもその事が整理できなかったが、今回映像で母の表情を見て腑に落ちた。やっと気持ちの整理できた気がする。
少し楽になれたかもしれない。こんな訳のわからない記憶や感情をいつまでも抱えて生きてくのは勘弁だ。
子どもに暴力を振るうこと。母親の入信していた教団ではそれを推奨していた。
何でそんなことをするのか、何故やめられないのか、何故謝らないのか、とずっと考えてきた。
結果、普通のおじさんおばさんは言われたらわりと何でもしてしまうらしく、自分も含めて組織や集団に逆らうのは至難の技、というかほぼ不可能だ。そのことがわかった。
加害者・被害者どちらも普通の人間だ。(上の方はどうだかわからないが)
そういう普通の人間個人に責任を求めたり、自分で考えることを要求するのはかなり酷なことだった。皆必死で生きている。
あちらは言われたらやってしまうし、そういう団体に対して個人がおかしいと言うのはほぼ無理なことだった。
人間の集団に個人で対することの困難さ。それはどちら側の人間でも同じみたいだ。少し悔しいが。
一個人や普通の人たちでは何ともしようがない。というか相当困難だ。
だから大きな力を持っていて、優秀なスタッフを揃えているであろう国が、責任を持ってちゃんと規制しなければならない。
たぶんそういうことなのだと思う。
だいぶん考えがまとまってきた。私は深刻な問題を同時にいくつも抱えていた。
さらに歩く。父の誕生日が近いのでシャンパンを贈ることにする。
・・・高い。また値段が上がっている。これはボージョレヌーボーの時にも感じた。
普通のスパークリングワインでもいいのでは、と思ったが、それだと特別感が無い気がする。
買って帰る。父に渡す。父は早速ネットで銘柄などをチェックしていた。
まったく父らしいと思った。