曇り。
大雨は過ぎた。
あんな不安になるレベルの雨は久しぶりだ。
台風ですらない。
夢を見た
中学生時代の同級生と歩いている。同級生はまわりに不満があるらしくずっと愚痴をこぼしている。
目の前に雪の壁が現れる。壁を上る。雪は柔らかく手や足を差し込むとめり込む。
壁の上に出る。尾根になっている。見晴らしがよく気分がいい。尾根伝いに歩く。
しばらく歩くと大きな幹線道路に出る。自動販売機がたくさんあって助かる。
幹線道路の先は下り坂になっていて、その先に田舎の集落がある。ここまでごみの収集車が入ってこれないのか道端にベルトコンベアがありその上をごみの袋が移動していく。便利なのか不便なのかいまひとつわからない。
さらに行くと工事をしている場所がある。横のスペースは工事が完成するまで駐輪場になっているようで自転車がたくさん止まっている。この先は駅だ。(終わり)
思ったこと
昨日は雨の中買い出しに行った。駅に出ると電車がほとんど止まっていて驚いた。こんなに大規模なのは台風の時ですらなかった気がする。(帰宅してからニュースを観てさらに驚く。まさかあんなに大事になっていたとは)
いつも行く店には行けそうもない。仕方がないので別方向の電車に乗る。乗った電車も徐行や時間調整を繰り返し一向に進まない。
駅で降りて買い物をする。ここに来るのは1年ぶりくらいか。知らない場所なので勝手がわからない。買いたいものを買うというよりも場所によって目につくものが違い、目につくものを買っている感じだ。
結局目的のものは見つからず。場所を移動して探す。・・・また電車に乗るのか。歩くことにした。
歩くのも久しぶりだ。こんな偶然がなかったらこっちには来なかったし。何故か”牛にひかれて善光寺参り”という諺を思い出す。風まかせ、というかなんというか。夢の中との区別がつかなくなってきた。
最近の自然災害は想像をはるかに超えている。夢というか悪夢だ。悪夢で思い出したけれど、私は3年前くらいにひどい帯状疱疹になった。今もそのあとが時々痛む。少し前の情報番組で大人に帯状疱疹が流行り始めたとやっていたのを観て、皆もそうなのかと思う。
その番組では原因は子どもが帯状疱疹の予防接種を受けだしたためで、子どもが帯状疱疹にかからなくなったためそのまわりの大人が帯状疱疹のウイルスにさらされることがなくなり、昔できた抗体が活性化しなおす機会がなくなったからだ、と言っていた。皮肉なことだ。
でもそれ以外にも原因があるような気もする。最近になっていろいろな人のブログで原因不明の熱が出た、という記事をかなりの頻度で目にすることが多くなった。コロナ以外にも何か流行しているものがあるんじゃないか、という気がする。そういう素人の考え。帯状疱疹っぽい新しい何かとかそういうの。
閑話休題。歩き出したのはいいが。体力が落ちていてすぐにへばった。あきらめて駅に向かう。電車に乗って別の駅へ。買い物を済ます。やはり買いたいものがあるというよりか目についたものを買っている感じだ。これ、おいしそうだな、とか。この本面白そうだな、とか。それが気分転換になっている。
やはり出歩けないのはストレスだ。特にうちみたいなストレスフルな家庭ではうまく発散しないと家族全員で煮え煮えになる。誰かが代表して出て発散しないといけない。そして帰ってきておすそ分けする。
そんなことを考えながら帰宅した。帰るころには電車の運行もだいぶん復活していた。
その他に思ったこと
ここのところずっと考えていた、なぜ数学が苦手なのかとかなぜ興味もないのに工学系の学部に進んだのかということについて、一つの結論に達した気がする。
自分で意味が見いだせないものはいくら立派に見えることでもやることはできない。何とかしようともがいているうちに歳を取って死んでしまう。
つまり私は馬鹿だった、ということだ。人間には寿命というものがあるのでできることは明確に限られている。若いころにそれを自覚するのは至難の業だが。まわりで生き死を大量に見られるとかでない限り。
わかってよかったけれど、うんざりだ。きちんと考えてわかることはお前は馬鹿だということばかりのような気がする。
今週のお題「住みたい場所」
昔知り合いと、老後暮らすなら縁側に風鈴と豚のかたちの入れ物に入った蚊取り線香があって浴衣姿のおばあちゃんがうちわを持って座っているのが似合うような家に住みたい、と話したことがある。
そういうのが似合う場所は限られている。庭に緑がある平屋の家。どうしても郊外になるだろう。ドラえもんに出てくる未来のジャイアンの家のように高層ビルのはざまに昔ながらの家があるというわけにはいかないし。