雨。かなりの雨量。
今日から令和3年の後半に入る。
だが実感がない。ずっと、コロナの騒ぎの中にいる。
コロナ暦を生きている。
夢を見た
夢がアニメ調だ。宮崎アニメのよう。夢の中にいる自分もそれに気づいている。アニメの中にいるというのは一部のオタクにとってはまさに夢のようなことだろう。内容は抽象的で現実味がない。(終わり)
思ったこと
今日は雨だ。気分が落ち着く。
午前中に生協の宅配が来る。うちのような家庭ではとても助かる。介護が必要な人がいたときには食材を届けるサービスを利用していた。一時期自分がそれを利用して夕飯を作っていた。
自分は新しいサービスには飛びつかないタイプだが、思い出してみると家庭の事情で新しいサービスにずいぶんお世話になった。携帯電話はまだトランシーバーみたいな見た目の時代に母が施設と連絡を取るために契約していた。iモードすらない時代だ。
それ以外にも上記に書いたような食材の宅配サービスをいくつか取っていたし、洗濯機と乾燥機がフル稼働していた時代もあった。今みたいな乾燥機能付き洗濯機があったら便利かな、とも思ったが乾燥している間に次の洗濯をするということができないのでNGだった。どんだけフル稼働させていたのか、ということだ。
やはり文明の利器は便利だ。
最近父親を見て気づいたこと:
父親の父親も自分の子どもの存在を徹底的に無視していたらしい。父親を見たり時々聞く祖父の話からそういう結論に達した。無視しなければ飲んだくれなりに飲んだくれの流儀みたいなものを子どもに継承できたのに。それが子どもの財産になると思う。(勝海舟の父親みたいに?)
まあこんなこと外から見た勝手な感想なんだけど。なんであんなに家族を遠ざけたのか。
そばに誰かにいてほしかった。そういうことだ。
今週のお題「一気読みした漫画」
子供のころすでに連載していて、大人になって漫画雑誌を読まなくなってもまだ連載が続いていた。ドリフと同じようにいつまでもずっとあるのではないかと勘違いしていた。(だが連載は終了したし、いかりや長介さんや志村けんは亡くなった)
自分は1巻から73巻までそろえた。その後は書店のポスターで連載〇周年とか〇巻発売、とかいうお知らせを見るくらいだった。
今思うことは両さんも志村けんも決して”いいひと”ではない、ということだ。むしろその枠組みからはみ出てしまっている。
芸人やヤクザは村社会からはみ出た、ごくつぶしがなるものだと立川談志が言っていた。まさにそんな感じ。両さんはそっち側の人間か。警官なのに。だから面白かったのか。
だけど今は世の中の事件事故のほうがよほどめちゃくちゃで、それでお腹一杯。むしろ両さんが常識人に見えてしまう。こういうジャンルは需要がなくなってしまったのかもしれない。
そんなことを思った。