曇り。
寒さはさほど感じない。
夢を見た
都会にいる。何かの仕事か。
仕事を終えて電車で移動。川を渡った先の駅で降りる。
店に入る。食事をとる。
店の中はガラが悪く、大変に不衛生。具合の悪い人たちがたくさんいる。
お腹を壊したり吐く人間が大量にいるので、危険を感じて店を出る。
駅に通じる地下街を歩く。刃物を持った男性が近づいてきて、離れていく。
警官がいたので男性のことを話す。警官は男性に近づき、いきなり発砲する。
近くの肉屋の男性も銃を取り出している。もうめちゃくちゃだ。このあたりはどうなっているんだ。
気づくと駅の反対側にいる。別の男性に話しかけられる。知り合いのようだ。
私は1日ほど記憶がない。駅のまわりをさ迷っていたらしい。
駅構内に入る。いつの間にか夜になっている。
電車に乗る。何故か屋根の上に乗っている。他にも2、3人そうしている人がいる。電車の屋根がめくれる。
再び都会に来る。電車の屋根から飛び降りて歩く。
下町の住宅街。また昼になっている。
店先のテレビで昨日の事件のニュースを報道している。
墓場のような場所に出る。何かに絡まれる。とっさに呪文のようなものを唱える。
すると街並みも線路も人間も消え去って、あとに残ったのは小川と野原だけだった。(終わり)
思ったこと
目が覚める。今日のはとびきり変わった夢だった。あざとすぎる。
夜まったく眠れずにいて、明け方になってうつらうつらした時にこの夢を見た。
起きて洗濯をし、買い出しに出かける。
ひたすらにダルい。花粉症のせいか、花粉症の薬のせいか、ここまでダルいのははじめてだ。
スーパーで買いものする。ポイントがたまっていたので使う。
ポイントとか、レジ袋とか、買い物が複雑になってしんどい。
皆はどうしているのだろう。よく対処できるな。
そう思ってきたが、どうやら”普通”の人たちは、よほど重要なこと以外はたいして考えもせずに、お得だったらさっさと利用する。そのくらいの心構えらしい。
私みたいにこの制度の意義は何か、実際にはどういう仕組みで動いているのか。なんて考えることはないのか。
それでその制度を利用した上で、何かトラブルがあったら、大騒ぎして賠償を要求する。そのくらいの力の抜きかた。フットワークの軽さ。したたかさ。
自分の性格以外にも家庭環境のせいでもあるのかも。うちの家庭環境は特殊すぎるのかもしれない。
これを私や家族がしたら、不利益を被るのでは・誰かにものすごい迷惑がかかるのでは、と毎回ものすごい緊張感をもって動かなければいけない環境。
あの団体の人たちはもっと考えなきゃいけないと思う。というか、”普通”のあまり考えないで動く人たちにああいうことをさせてはいけないのでは。
などとうちの中の問題について少し考えた。
最近読んだ本のジャンル。キリスト教神秘主義・隠れキリシタン・宗教改革など。
何故こんな本を読んでいるのか。
うちの家庭内で起きたことを何とか意味のあるものとして、まとめて身に納めないといけない。そういうことだと思う。
いいことだったら、そのまま素直にまとめればいいが、うちの場合そのまま継承するわけにはいかない。それであれこれ考えている。
私はそういうことをしない。彼らとは違う。それだけでは不十分だった。何故なら、いかに不愉快でもその環境の中で育ち、親やまわりに受けた影響を身につけることで大人になっているからだ。
だから不愉快ながらもそれらと向き合って、どこかで折り合いをつけなければいけない。リセットはできない。(というかできなかった)
世の中や人間の成長には、はっきりと流れや筋道といったものがあり、それに逆らって動くわけにはいかなかった。不都合なことでもなかったことにはできない。
そんなものがあるなんて思いもよらなかった。そんなこと誰も教えてくれなかったし。
うちや自分はやっぱり特殊なのだろうか。考えれば考えるほどそんな気になる。
そんなことを考えながら道を歩いた。
ここは~街道という名前がついている。そういうところは大抵巡礼の道だ。寺社や聖地に通じる、昔からある道。
夢の最後ではないけれど、大昔には建物もなく小川が流れる風景があったかもしれない。
道を歩き終えて、立ち食い蕎麦屋で昼食。Suicaでの支払いにもやっとなじんできた。Suicaのサービスは始まってから20年も経つらしい。その間にサービス終了にもならずに世の中に浸透した。すごいことだ。
外に出て歩いてだいぶん気が晴れた。帰ることにする。