蒸し暑い。
天候の極端さで身体にもろにダメージを受けている。
また、猛烈な勢力の台風が発生した。
猛暑とか、”猛”だらけだ。
強力な敵?が次々と出てくる。
ジャンプの漫画にたとえたらもう連載後半だろうか。
主人公クラスでないモブキャラが生きていけるような環境ではない。
生き残っている我々は勇者かよ。
思ったこと
買い出しに行く。郊外を歩く。最近読んでいる本によるとこのあたりは中世、開発領主たちがしのぎを削っていたらしい。(「相模のもののふたちー中世史を歩く」 永井路子著 有隣新書)
当時のこのあたりの風景を少し想像してみる。コンビニがないのはやだな。・・・そこかよ。というか想像もつかない。今みたいに人間がふらふら移動することもなかっただろうから、道で人に出会ったときにはとてつもない緊張感だっただろうな。盗賊かもしれないし。
というかコンビニなんてあるわけないじゃん。売るものがない。今みたいに最低限生活に必要なもの以外を購入する余裕ができたのはつい最近だというし。食料が選べるどころか足りるようになったのもつい最近らしい。
スーパーに入る。落ち着いた雰囲気。ほぼ地元民しか来ないのか店員とお客がフレンドリーにしゃべっている。私は完全なよそ者だ。
(フィルムカメラの時代はどうやって撮っていたんだろう。その時代からもう知らない世界になっている)
また考える。前回のブログの続き。自身に起こったことについてずっと考えている。本に書いてあることを鵜吞みにするのは信仰ではなく依存だろうと思う。自分で考えてわが物にしたのではない。
だから不具合や批判に弱い。お前がそんなこと言わなければうまくいっていた(ように見えた)のに。
お前さえ犠牲になれば、とそういうことか。本当に酷いな。そんな正しさが何だっていうんだよ。他人が作ったシステムに乗っかるってそういうことなのか?
それが他人の都合を生きる辛さでもあるのか。
考えたり修行することとすがったり拝むことというのは別の話なのか。ショートカット(というかインスタント)の弊害? (便利に見えるけれど)他人が苦労して得たものを労せずに受け取ってしまうことには特有の苦しみがある? はじめから無茶をしている?
また自身の問題についての理解が少し進んだ気がする。進むのはいいが自分の傷に触れるのは本当に辛い。
そんなこと放っておけばいいじゃん、という人もいるかもしれない。昔は自分もそう思っていた。だけどそれは外側から見ることができる人間だから言えることだ。外にいるのなら嫌なら離れることができる。他人事だし。
だけど本人はそうはいかない。嫌だからってヘリコプターで飛んでいけるわけではない。たとえ飛べても自分と自分の問題はついてくる。だから嫌なら問題と向き合ってなんとかするしかない。
それに気づくのにこんな年齢になってしまった。それにしてもどうしてまわりには放っておけばいいじゃん的なことを言う人間ばかりだったのだろう。(ごまかそうとしている奴は論外だけど)
ケアの専門家ですらそうだった。見なければ問題はなくなるわけではないのだぞ。まあ、これは愚痴なんだけど。
そんなことを思った。