曇り時々雨。
昨日ほどは暑くない。
ここのところ気温の上下が激しく〇月上旬並みの気温、
とかいわれても全くピンとこない。〇月の気温もめちゃくちゃだった。
夢を見た
学校の夢。いつもと違って海外の学校らしい。海外には行ったことはないけれど。
何やら学校全体が事件に巻き込まれたよう。犯人を捜す。治安の悪い地域のようでまわりの住民も皆ガラが悪い。誰を見ても犯人に見えてしまう。
海外なので男女の生徒の仲がいい。絶対固定観念だと思うけど。(でも社交的なやつも、そうでないやつも含めて海外のほうが人間が丈夫そう。そんな気がする)
ケガをしている女子生徒をかばって介抱している男子生徒がいる。しかし犯人はこいつだった。
おめーかよ、と私は心の中で思った、出来の悪いドラマみたいにわざとらしい。(でもよく考えたら現実世界でなく私の夢の中の話だった。えーと、つまり?)
場面変わって日本の学校になる。お偉いさんが来校するらしい。動きやすい格好で出迎えるように、とのこと。
じゃあ制服のままでいいや。と思っていたらほかの皆は体操服に着替え始めた。制服のままなのは自分だけだ。
これだよ、これが日本の学校だよ、と深く納得する。
また場面変わってその学校近くの山の中の建物。数人の男女がいる。さっきの事件はこの人たちが仕組んだやらせらしい。実際には誰も犠牲者は出ていない。話が錯綜している。
早く気づいてくれないかなあ、と一人が言う。気づいてくれないと撤収できないようだ。犠牲者はただ睡眠薬で眠っているだけだった。気づいてくれないとそいつを起こせないらしい。(終わり)
思ったこと
目が覚める。なんだこの夢は。
特に日本の学校の嫌な感じがリアルに残っている。誰が決めたのかわからないことが”当然”のこととしてまかり通っていて、そのことについて誰に話したらいいのかわからない。でも皆誰に言われたかすら定かでないその謎の決まりに従って一斉に動く。
学校にいる当時はそのことに自覚すらなかった。思い出してみるとそんなのばかりだったな。
問題が空気のように当たり前の存在としてあって、そのことを皆当然と思っていて、そのことで不具合が起きても話す相手が全くいない。いても気にするな、とか我慢しろ、とかそんなこたえしか返ってこない息苦しさ。それを思い出した。
当たり前を疑うことの困難さ。
あるいは、気にしなければ問題はなくなる(はず)、という考え方がかなり強く社会に根付いているのかもしれない。
そうなると問題が起きた時にちゃんと話を聞いてくれる人間を探すのが大変だ。物の分かった話し相手がいないと問題を問題としてとらえることは難しい。そういう困難。
そんなことを考えた。
あれ、少し前のブログでこれからは気楽にやるって書いていなかったっけ? そういうのは難しいのかも。ネガティブというか後ろ向きというか、身近な問題が考えたり書いたりすることの原動力になっている。