曇り。まだ寒い。
昨日、4回目のワクチンを打ってかなり身体がだるい。
これまで発熱したことはあったがだるくなることはなかった。
夏の疲れ、気温の急激な変化などがプラスされているのだろうか。
洗濯や掃除をしながらさらに考える。これまで自分が見てきたことの整理。
母や母の入信している教団の人たち。親切そうに見えて実際ある程度は親切なのだが、それでもシャレにならないトラブルを起こすのはなぜか。
彼らは自分たちの教義や思ったことを一方的にベラベラしゃべり、一方的に親切を押し付けてくる。
彼らは相手とコミュニケーションをとらない。自分たちが正しいと思ったことをしていればそれでいいと思っている。
相手とコミュニケーションをとるかどうかが肝のようだ。
コミュニケーションをとらないと、相手が目の前で迷惑していても全く気づかない。信じられないレベルで気づかなくなる。
相手がどんな状況にいるのか推し量らない。
そして自分たちが絶対に正しいと思っているので謝らない。
自分と他人は全く別の世界を生きていることに思いが及ばない。
他人の世界には原則として踏み込んではならない。これがルールだと思うのだが。
書いていて思った。これって大人になるってどういうことか、大人とは何か。という問題に近い。
これは、自立するってどういうこと、という問題につながっているのでは。
これまで考えて気づいた。自分の中の疑問に自分で答えを出せるようになることが、大人になることや自立につながっている。
だけど、学校でも家庭内でもそういうことをすることは大変に迷惑がられた。
忙しいんだからごちゃごちゃ言うな、ということか。大人は皆忙しい。
考えることよりも文句を言わずに言われた通りに動く人間。そういう人間が大変に重宝がられた。自分も一時期はそういう人間だった。
別に大人として成熟しなくても生きていける”便利な”社会になったということか。そういう世界では、自立の努力はただ面倒くさいだけかも。
だけど何か問題が起きた時には大変に困ったことになる。誰も解決できない。
脱線して偉そうなことを言ってしまった。
大人になること:本などに頼らずに自分で疑問に答えを出せること。他者の存在・他者との距離感や関係の複雑さがわかるようになること。自分と他人の違いは何か。
こういうことではないか。特に自分のような環境では、自分で答えが出せないと戦えない。はっきりと言葉にできないといけなかった。
これはあらかじめわかることができない。すでにわかったか・まだわからないか、どちらかだ。わからない人間には想像することすらできない。マニュアルを読めばいいというわけにはいかない。手間暇や学ぶ場が必要。
でもそれとは別の話として、実際にトラブルを起こす人間に対処しなければいけない場合、どうしたらいいのだろう。彼らにものすごい悪意があるわけでもなく(むしろ逆のことも多い)、だから批判をすればいいというわけではない。
批判されたら悪口を言われたと大騒ぎされることも多いし。それか意味の分からないこととしてスルーされる。こっちが頭のおかしい人扱いされる。説明するのも大変だし覚悟がいる。
(すべて攻撃されたと取るのはなぜなのか。敵と味方の間がない。人間とはどういうものなのかが、ある程度分からないとダメなのだろうか。人間は一面だけでできているわけではない。一人の人間の中にいくつものレイヤーがある。自分もやっと最近それに気づいた)
問題にも一人の人間の中にもいくつものレイヤーがあって、それを区別できないと問題を自覚することすらできない。それに気づくことも大人になることか。そして自分もまわりの人間もレイヤーをごちゃごちゃにして混乱することが多い。
彼らの問題に対処しようとするとものすごく消耗する。ボロボロになる。これは常々思っている。基本的にはそういう人間とコンタクトしてはいけない。これも一つの知恵だ。
ものすごく複雑だ。本当に疲れる。
正直に自分の願望を言えば、安全で静かな場所で休みたい。ということ。これも心のどこかで覚えておく。