久しぶりのまとまった雨。
それほど寒くない。
昼に向かって気温が下がっていくパターンか。
夢を見た
自宅。暗がりにいる。母が私の部屋からエアロバイクを持ち出してそれを階段前の廊下に置いている。あぶないのでどけようと思う。(終わり)
思ったこと
「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)をさらに読む。最近こればかりだ。
やっと上巻を読み終わった。やっと半分か。
読んでいて思う。俺宗教とか興味ないや。スピノザもこれを書いた先に何か言いたいことがあるのだろうか。やたら聖書について細かく見ていってるけど。導入部分にそんなことが書いてあったような。でも実際どうなのかは読んでみないとわからない。
言葉ってスカスカなんだな。物事を大雑把にしかとらえられない。厳密に丁寧にしゃべればしゃべるほど、わからなくなる。ついていくのが困難になる。
スカスカだから誤解やトラブルが生じるのか。スカスカだから短い文で短時間に伝えられる。内容そのものよりもそっちのほうが気になる。
何故かそんなことを思った。
気になる、といえば読んでいて自分が気になっていることがはっきりしてきた。
いつものように自分の子ども時代の話。まただ。またかよ。母と母の入信していた教団の話。宗教そのものよりも、何故普通のおばちゃんが暴力を振るえるようになるのか。しかもそれは善意らしい。
なんであんな支離滅裂なことを信じられるのか。そのメカニズムが知りたい。
・・・俺かなりひどいこと言っているよな。友達いない感じ? でも友達いないほうがゆっくりと考えられるし静かに過ごせることに気づいた。いいことなのか、悲しいお知らせか? ともかくそういう性格だった。
だけど言葉というのは、さっきも書いたけれどもかなり限られたことしか表現できない。表現にひどい言葉を入れないと表せないこともある。ひどい状況に置かれているならなおさらだ。
世の中はまともなことばかりではない。ひどい言葉を使ってはいけないというなら、そういうものが表現できなくなるおそれがある。昭和の小説や漫画を見てみろ。もちろん悪意があるものは論外だが。
一体言葉ってなんなんだろ? わかってなくてもわかった気になる。不思議なもの。それで人が幸せになったり亡くなったりする。
かなり脱線気味だけれども、そのあたりが自分が知りたいことだった。そもそも論や話の前提をいじるのが好きなのかも。
こちらのほうが宗教全般よりも自分自身にちゃんとつながっている。ただの理屈じゃい。実際にやられて迷惑をこうむった側だ。そのことについてちゃんと考えなくてはいけない。・・・やった側も考えろよ。
それとは別の話で、うちの中を母の入信している教団に好き勝手やられたり、お世話になっていたりする状況を見て、戦争に負けるってこういうことなんだろうな、としみじみと思った。爆弾落とされて焼け野原にされた後援助してもらっている。
アメリカって相当変な国だ。100%思い通りにしないと気が済まないのだろうか。そんなことされたら相手は自尊心めちゃくちゃになるよな。それでまた思う。自律(自立)ってなんだろう。
そういや今日は開戦の日だった。