曇り。
今年はかなり寒い。
久しぶりの本格的な冬。
前回のブログで書いたことについて考える。
なにかできることがあったのでは、と思ったがそういうわけにもいかない。
よくやっている、それでよかったんだ。それくらいの距離感。自分も相手もよく生きている。
優しい気持ち。お前は厳しすぎる、と昔学校で言われたことがある。そういうことか?
母や教団のことで思う。そうやってちゃんと距離を取らないと引きずり込まれて巻き込まれる。そうなると被害者どころか加害者・共犯者にされてしまう。
自分も他人も大事にする。そして巻き込まれない。よくやっている、と思うことで適切な距離が取れる。自分とも他人とも。
認めたうえで距離をとる。これが正しいようだ。それで身を守れる。ここまでくるのにものすごい苦労した。
必要以上に考えない。必要以上に大事にしない・気にしない。そうしないとダメになる。ケアの適切な距離。
そういうことだったのか。こんなこと学校では教えてもらえなかったな。
「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)をさらに読む。
読んでいて思うことは、聖書は知的訓練を受けてからじゃないと読むのは危険だということだ。表現があざとすぎる、というかどうとでも解釈できてしまう。
いろんな場面でいろんなことを言ったりやったりする人が大量に出てくる。それの集合。
素直に読めばいい、なんていう人もいそうだが、その素直だってかなり大変なことだ。当たり前のことを当たり前に自覚するのにどれだけ訓練や時間が必要か。
それに書いた人には明確な意図があると思うから素直や素朴だけだと危険なのではないか。うまうまと相手の意図に引っかかってしまう。
それか書かれている表現を誤解してしまう。そしてそれを無自覚にばらまく。やや悪意のある言い方だけれども。
言葉には限界がある、というが齢を重ねての実感としては人間出来ないことが多すぎる。
わかっているけど、できない・やめられないというのは正確な理解ではない。そんな理屈は現実世界には存在しない、といったほうが正確だと思う。
できないのにはちゃんと理由がある。それを明らかにしたほうがよさそう。
なぜできないのか、なぜやったのか、と理屈を振りかざして相手を非難する人がいるがあれは暴力だった。
でも現場ではそんなわけにもいかないことも多い。それも覚えておく。
そんなことを考えた。鬱気味のせいかやや暗いな。