晴れ。
もうすっかり夏の日差し。
買い出しに行く。先週に続いて大きな書店に行く。
都内の駅前は大変な混雑。駅に着いた時点でかなりクラクラする。人に酔う。
大型書店に着く。皆真剣に本を見ている。
ここもセルフレジが大半になっている。有人のレジに並ぶ。研修中と書いた札をつけている男子が対応してくれる。新大学生だろうか。隣にはベテランらしい女性店員がついて指示を出している。
ポイントカードや袋についてたずねられる。マスクをしているし、都会の雰囲気にやられてしまっているので、声があまりでない。
身振り手振りも交えて何とかこたえる。とっさにOKサインなんて出したが、こんな昭和的なサイン今の若者に通じるのだろうか。
なんとかなった。カバンに本をねじこむ。セルフレジともマイバッグともあまり相性がよくない。
駅前のデパ地下。Suicaが使えない、そう店員に言われる。Suicaが使えない、という時の店員の複雑すぎる表情。また言われたよ、私だって変だと思うわよ、申し訳ありませんねえ、いい加減覚えてよ、などが混じっているのか。
ラーメンを食べて帰る。入ったラーメン屋はさっきまで大混雑だったのに、15分くらい後に行ったらガラガラだった。都会の変化は早すぎる。
最近読んだ本について考える。人間はひとりで存在したり、何かについて考えるというよりも、この世界や他者との関係の中を生きているらしい。
だとすれば、自分の環境は結構しんどい。まわりにいる誰かに頼ったり、コミュニケーションをとることが、自身やまわりの親しい人に危害が及ぶことになっていないか。これでは誰かに頼れない。
だいぶん見えてきた。いったんここでやめて気分転換をする。
続き。
それにしても、ホッとできたり落ち着いて考えられる時間や空間が少ない。何とか一息つきかけたところで次の用事や誰かの都合が来る。何かの積み上げが難しい。
母とその入信している教団について考える。それにしても良くできている。酷いけど。
誰か一人が悪いとかなら、その人やその場所から逃げればいいが、神に逆らったら酷い目に遭う、だったらどこにも逃げ場がない。
何とか必死に考えても、それが正しいか、間違っているか、というところに落ち込んでしまえば、やっぱり逃げ場はない。
間違っているかどうか、なんて、そんなもの原理的に証明できないからだ。"悪魔の証明"というやつに似ているのだろうか。詳しくはよくわからない。
その枠組みそのものがおかしい、というところに気づかないといけない。でもそうなると何を参考にしたらいいのか? まったく難しい。
やっぱり酷いや。
彼らはいくら、間違っていると、言っても、違う違うと言うだけで何が違うのか言わない。
こっちがまともそうなことを言ったら平気でそっちの意見に乗ってくる。それか、そういう意見もあるのですね、と相対化してしまう。
いつの間にか、全く関係のない新しいことを言い始める。前に言っていたことは忘れてしまう。看板を付け替えてまた、我々は正しい、と言いきる。
発言した自分の責任というものがない。見栄えのいい方に流れて大騒ぎする。
これは、この前書いたこととつながっているような気がする。理屈が自分の理解や感情から離れてしまっている。立派に見える方、損しない方に流れるだけ。
これでは話し合いにならない。成長もない。言葉の使い方そのものが変わってしまったのか。
理屈や言葉のまともな使い方ってなんだろう。それは本当に知りたい。
そういうのと対峙すると疲れる。お疲れ、俺。