korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

さらに時代の流れを感じる。言葉はどの程度のものなのか

 晴れ。

 

 日差しは強いが風は冷たい。

 

 

 3回目の接種(モデルナ製)をおととい受けた。昨日は37.4℃まで熱が上がり身体中が筋肉痛のようになった。だがそれも半日ほどでおさまる。

 

 2回目の接種の時よりは副反応は穏やかだった。今回楽だったのは前回の接種から期間があいていたせいだろうか。それとも身体がワクチンに順応したのか。時代に適応したみたいだ。スマホを持っている生活に慣れた的な? 時代の流れ。

 

 

 時代の流れといえば、ワクチンを打ちに東京まで行ったのだがそこでもそれを感じた。

 

 まず、どこもかしこもセルフレジだらけだった。本屋ですらそうだ。カバーも袋も自分で取ってください、とのこと。こっそりとたくさん持っていく人間はいないのだろうか。

 

 セルフレジで困るのは袋詰めだ。特に私みたいに不器用な人間は困る。店員がいれば手伝ってもらうのだが。袋詰めのための台がないところもある。これはエコバックの問題にも絡んでいるか。

 

 買った商品の形状にあったエコバックを持っているとは限らない。それで半ば強引に詰めたりする。幅のある弁当を買ったときには特にそうだ。久しぶりに”寄り弁”なんて言葉を思い出した。学生時代以来だ。

 

 

 あと感じたのはどこを歩いても同じような形状の商業施設だらけになった。いや形状は変わってるのだろうけれど、雰囲気がほとんど一緒。歩いていてどこにいるのかわからなくなる。風景(というか色合い)が大きく変わることがない。

 

 そんなことを感じた。

 

 

 少し前に行った秋葉原でも変化が来ていた。(秋葉原にはファミコンの時代から時々来ている)

 

 コロナのせいかシャッターが下りている店が多い。店員の国籍も多様になった。

 

 10年位前からだろうか、新品よりも中古を扱う店が増えた。

 

 通りには相変わらずメイドさんがいる。立っているメイドさんの中にはメイド喫茶を装っているが、実はお酒を出す店というのがあるという。

 

 お酒を出す店はコロナで大ダメージだろう。あれこそ、人と人が触れ合わないと成り立たない。まあ、私は自宅で一人で静かに飲みたいほうだからあまり関係ないけれど。

 

 コロナのせいか飲食店も出前が増えた。セルフレジもそうだが、人と人が直接対面することが少なくなっている気がする。これも時代の流れか。テクノロジーの進歩。

 

 いっそのことテクノロジーの進歩がもっと進んで、働かなくても暮らせるようにならないだろうか、と怠け者の自分は思う。

 

 テクノロジーの進歩に対応するために人間が暮らしづらくなるのはおかしい。これはテクノロジーというよりは社会のデザインの問題か。どんな社会になってほしいか。

 

 

 

 また考える。家庭内の問題。これまでさんざん書いた。あれだけ滅茶苦茶で間違っていることを正しいと言い張る人間がいる。それはおかしいのではないか。

 

 そう思ってきた。しかし、最近いろいろな本を読んでみた結果、問題がかなり腑分けされてきた。彼らの使っている言葉。言葉というものの性質がだいぶんわかってきた気がする。

 

 どんなに一生懸命考えて理屈を積み重ねても、それはその場で本人が抱えている問題が整理できてスッキリするだけだ。その筋道は本人にしかわからない。

 

 それをそのまま他人に向かって正しいというわけにもいかない。他人にとってはかなり強引で雑な理屈に見える。そもそも何でそんなことをいうのか訳が分からない。

 

 だとすれば発言している当人の状況を推測する作業がかなり重要になるのではないか。それがないと意味がない。

 

 他人がそれをしてくれるとは限らないから弁明が必要になるのか。

 

 いずれにしても相手が言ったことの失点をつついて自分の意見を通す、とか、立派そうに聞こえることを言って見てくれを整えてごまかす、というものとは全く違う話だ。

 

 それは言葉の性質を悪用しているだけのようだ。言葉にすればどんなにでたらめなことでも”ある”ことになってしまう。

 

 おのおのの人間が自分の抱えている問題や立場から全く違うことを言う。本人にとっては切実だけれども他人にとってはわからず、たぶんどうでもいい話。”同じ”言葉を使っていても当人が抱えている前提を理解しなければ全く伝わってこない。

 

 言葉とはそういうものらしい。ひどく漠然とした話だけれど。

 

 その他に、相手が話している言葉以外に身振りや雰囲気で、ああこの人話していることを全く理解していないな、とか、本当は逆のことを思っているな、とかがわかることもあるし、そちらのほうが正直だ。そこに気づくことができれば言葉に騙されずに済む。

 

 

 まとめれば:言葉とはどの程度のものなのか、それがだいぶんわかってきた、ということなのかな。人間は言葉だけでできているわけではないらしい。人間は大変に複雑な表現をする。

 

 

 

 

 ・・・ん? ということは、まわりからすればたとえ滅茶苦茶な理屈であっても、当人にとっては抱えている問題を整理することができて(背負っている重荷を下ろせて)、助かっているのかもしれないな。だとすればまわりの意見を聞かずに自分の意見を押し通すところに問題があるのかも。コミュニケーション拒否の姿勢。

 

 お互いが持っている言葉の意味合いを調整しないとうまくやっていけないのか。”絶対正しい”はありえない。

 

 あとはこの世界に対する認識能力の問題か。それがないことでもだいぶん問題を起こす。・・・遠回しに頭が悪いって言ってないか? でもそれが頭の良さなんだよ、たぶん。目の前で起きている現象をなるべくそのまま解釈できること。当たり前のことを当たり前だと理解できること。耳が痛いな。