台風が去って普通に蒸し暑い日々が戻ってきた。
今日は終戦の日だ。
洗濯をして部屋に掃除機をかける。こういうのはとても大事だ。生活にリズムができて助かる。
終戦の日で少し考える。戦後どころか開国してからずっと、アメリカの都合に振り回され続けている。
アメリカの中国大陸に対する政策。ここは前線だったのか。
アメリカにとって日本は太平洋の防波堤みたいなものか。
あとは素朴な思いとして、何百万人も死んだあの戦争はなんだったのだろう、という思いがある。
素朴さでは理解できないレベル。
そりゃ反省や罪悪感、戦争の悲惨さも大事かもしれないけれども、そういった素朴な感情の問題だけでは、どうしようもない気がする。
感情だけだったら、感情で覆される。ムードで動く。もう戦争するしかない、となったらまた突っ走るだろう。
例の事件もそうだ。ここのところずっと考えている。
ちゃんと考えてある程度のけりをつけて、対処しないといけない。
うちは事情が特殊なのかもしれないけれども。これまでのブログで何度も書いた。
昨日ゲームをしながらふと思った。こういった団体の妄想には、別の妄想で対処できるのではないか。
妄想には根拠がないから、何とかできるのではないか。根拠や実体のないものは変化できる。
もっと、大きく道理にかなった妄想。
なんだか考えていることが暗いな。でも本当に困っている。
そういうときには真面目に考えなければいけない。そうしないと後々問題がさらに大きくなって帰ってくる。苦い経験だ。
問題を意識せず、気にしないという対処の仕方もあるだろう。そうしないと生活できない。
でもあまりにその習慣が広がりすぎて、問題が起きてもどうすることもできなくなっている。そんな気がする。
私のまわりの人間は、気にするな、とか、前を向け、とかそういう人間だらけだった。
「そんなこと考えてどうするの?」ということだった。確かに真面目に考えていたら生活に支障が出るかもしれない。
でもそれがどうしても必要になることもある。それこそが大変なトラブルに巻き込まれた人間の仕事・あるいは義務なのでは、という気すらする。戦争の話もそうか。
でも、実際にどうしたらいいんだろう?
正直みんなお腹いっぱいだったら悪いことしない、くらいの素朴さでいいのではないか。それだって立派な道理だ。
食料問題か。全世界の衣食住の安定や保証かな。でもそれこそどうやってだろ。
話が漠然としすぎだ。
その話、お前はどこにいるんだよ、だ。もっと具体的な自分の問題を考えないといけない。
そんなことを思った。やっぱり暗いな。
自分は一人になってずっと考えるタイプの人間だ。その方が調子が良く、生きやすい、と最近やっと気づいた。