晴れ。
蒸し暑く汗で服がへばりつく。
そうだ、これが夏だった。
アイスコーヒーがうまい。
母親も自分も父と食事をするのが負担になっている。
父は心ないことを平気で言う。それで母と喧嘩になる。
注意すると不貞腐れて逆効果だ。トラブルがさらに増す。
母も重いけれど父はそれ以上に重い。今の実感だ。昔を思い出してみれば、母のトラブルの向こうには父の無神経があることも多かった。
昔から母が「お父さんが、お父さんが~」と愚痴っていた理由がわかるようになった。
買い出しに行く。まだ花粉症がある。ドラッグストアで花粉症の薬を買う。
対応してくれたのは爽やかな男子店員。マニュアル用語ながら丁寧。
弱っているのかマニュアル用語で時間を引き伸ばされるのがとても辛い。さっさと店を出る。
爽やかさと正しさに負けた気がする。本当に弱っているな。
ドラッグストアを出て歩く。いい気分転換になる。昭和の人間だからか走っているバイクや、バイクについているマフラーに目がいく。
バイクのマフラーはピカピカだ。最近はカーボン繊維のものが多くピカピカではなく黒い。環境問題に対応するためカーボンですらないものも増えてきたという。変化が早すぎる。
環境問題も大事だけれども余計な情報を入れて、自分からつまらなくするなよ。
喫茶店であんみつを食べる。大事だ。外での食事は格別。
買い食いは楽しいどころか、重要な気分転換になる要素だ。この歳になってそんなことを考えた。
また買い物のために店に入る。店員がレシーバーで誰かと話している。自分が悪口を言われている気がする。本当に具合が悪いな。
・・・ん? 違うんじゃないか。むしろ"教育"の成果だろ。
昔から、自分のまわりにはニコニコしながら迷惑をかけてくる人間がたくさんいた。
そういう環境で育ったら、普通に対応してくれたり、ニコニコしている人間が実は悪意を持っている、と思うようになる。
これは、善いことではないし、あってはならないこと、だけれども、ものの道理ではある。こういう環境で育ったらこうなる、という道理。環境という教育。最近のブログでも少し書いた。
道理というのは大変に強力でその人の人生を支配する。
これ、被害妄想とか病気のせいにするわけにはいかないんじゃないかな。薬を飲むだけではどうしようもない。辛さはある程度ましにはなるけれど。
今までのろくでもないものでできあがってしまった基礎を抱えながらなんとかするしかない。
こんなこと病院では教えてくれないな。
まいったな。こりゃ。
本当にひどい環境だったんだな。
そんなことを思いながら帰路に着いた。
ボロボロではあるけれど、歩くのもあんみつもアイスコーヒーもとても良かった。用事も何とか済ませられた。