曇り。
久しぶりの大雨。
これからはこういうのが頻繁にある季節か。
まるで雨期だ。辛い料理が食べたくなる気候。
夢を見た
皆で集合している。修学旅行か。寒い地方に行っているようだ。北海道か。
団体から抜け出して一人でトンネルをくぐる。トンネルの向こうは砂浜。
ものすごい霧。何も見えない。白い闇。家族連れに会う。
あきらめて戻る。地面には雪が残っている。
あちらこちらに観光に行っていた学生たちも戻ってくる。皆で話す。 (終わり)
思ったこと
目が覚める。旅行って時間の流れ方が違うよな。普段だったら話さないような話題を話すし。
私の修学旅行のときは・・・。そんなことなかったな。書いといてなんだよそれ。
勉強のストレスから解放されただけで終わってしまった。もっと長期間行っていれば変わったのかもしれないけれども。
最近は少し鬱気味だ。布団から起きるのがやや辛い。
これくらい大丈夫。と思ってみて気づく。これくらい、とか、たかが、とかいうワードが出始めた時点で要注意だ。かなりダメージを受けている。
そこで無理せずにケアしないとえらい目に遭う。経験則ってやつだ。
それにここで、大丈夫、とか書いてしまったらあとからやってくる鬱病の人間が同じ轍を踏んでしまう。
最近そう思うようになった。鬱病の同胞に向けたメッセージ。鬱病の同胞ってなんだよ。
さらに思い出す。昼夜逆転していた時期のこと。
思い出しても大したことは出てこない。当時の自分に言えることがあるとすれば、むしろせっかく具合が悪くなったんだから、やることを探してないで休もう。くらいのものか。
食事と風呂は大事、くらいかな。あとは情報は細く少しだけ入れておく。最近はネットが発達しているおかげで、せっかく休んでいても大量の情報が入ってきてしまう。
結果休めない。私の若い頃みたいにはいかない。動画を見たり難しいゲームやると鬱が進む。経験済みだ。
音楽を聴いたり本を読んだりくらいで十分だ。だらだらテレビを見るとか。ラジオとか。
動画とテレビって何が違うんだろ。動画の方が情報量が多く、スピードが早い気がする。それにきりがない。止め時がわからない。テレビだったら、番組が終わったら諦めるしかないし。
諦めるというのも大事なのかもしれない。
ゲームだったら簡単で時間制限のないもの。ソリティアとか。
昔鬱病になってソリティアを延々とやっている漫画家の作品を読んだことがある。真似してみたら本当に楽だった。
漫画の中では著者が何千万点というスコアを出している人がいるのを見て、この人たちはいったいどういう生活をしているのだろう、と想像していた。もしかしたら同じような境遇の仲間なのかもしれない。
鬱病仲間。昔具合が悪かったときはそういう仲間がいるかもしれない、なんて考えもしなかったな。
デイケアにお世話になっているときは、カリキュラムに合わせるのに必死で考えるどころではなかった。今考えると本末転倒だった。相手の都合に合わせ過ぎない。距離を取る。
整理したり休むためには、まず静かな環境を作らないとどうにもならない。そういうことだった。
そんなことを思い出した。
大学生時代にお世話になったカウンセラーが、歳を取ったら楽になると言っていたがあれは本当だった。
これ努力とかそういうことじゃないよな。歳を取ることは必然で止めたり進めたりすることはできないし。生老病死は止められない。
努力でなんとかなると思うな。これが自分の若い頃に一番必要なメッセージだったのかもしれない。