korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

終戦の日。夢を見て考える

 大雨。

 

 終戦記念日

 

 

 

 

        夢を見た

 夜なのかとても暗い。荒廃した世界。

 

 以前お世話になった会社の社長が延々と話しかけてくる。姿は見えない。

 

 何か仕事の話らしい。

 

 仕事の内容が謎すぎる。1か月ほど釣りをしていてくれ、たまに釣り針に金塊がかかるからそれで生活できる、だとか訳が分からない。

 

 断る。他にしなければならないこともあるし。

 

 広い道路を一緒に歩く。照明もなく、車も狂ったように暴走している。

 

 そういう世界になったんだと思う。

 

 坂を上る。車や機械のスクラップが山積みになっている場所に出る。

 

 中から何かが出てきて暴れる。走って逃げる。”何か”はレーザーのようなものを撃ってくる。それが乗り捨てられているタンクローリーに当たる。

 

 よくゲームや映画であるパターンだ、と夢の中で思う。レーザーや銃弾がガソリン満載のタンクに当たったらどうなるでしょう。必死で逃げる。

 

 

 朝になる。(別の夢かもしれない) 母方の祖母の家にたどり着く。中には誰もいない。

 

 中で休む。そこに母方のいとこ家族が来る。もう何十年も会っていない。ここは自分の居場所ではないと思う。(終わり)

 

 

       思ったこと

 目が覚める。まだ夜中だ。めちゃくちゃだ。消耗を感じる。

 

 

 かなり凹んだ。脳が興奮したままで眠れない。それでいろいろと考える。

 

 アルコール依存症で「底つき感」という言葉がある。飲酒が行きつくところまで行って、これでは、ダメだ、もうやめよう。とアルコールをやめる努力ができるようになる感覚(だそうです)。

 

 これまでは、ふ~ん、くらいにしか思っていなかったが、これは絶対に必要なものなのではないかと思うようになった。全員に、とは言わない。

 

 努力でやめられたぞ、という人もいるかもしれないが、ただ単に俺はやめられた、では実際に困っている人にとって何の役に立つ情報も得られない。

 

 いろいろな境遇や経験や他人の意向などが複雑に絡まって、言葉で拾い上げて整理することが不可能なレベルになってしまい、自分ではどうすることもできなくなって、酒に頼って何とか生きている。その複雑な状況が脳が強制的にリセットされるところまで行くことでやめられる。そういうことなのではないか。宗教的な体験に近いものか。

 

 何でこんなことを考えるんだ? 私にとって読書や考えることは酒みたいなものなのか? 昭和的な何かを感じる。では中途半端なことはできないな。そういう話か。私にとって読書はアカデミックなものではなかった? ちょっと残念。

 

 「底つき感」まで行くというのは回復のための一つの有効なプロセスなのかもしれない。命がけだけど。負荷をかけて飛ばす? これで怠けているとか言われるのは、たまらんな。いや、気持ちはわかる。ある程度までだけど。

 

 

 

 以前読んだ本のことを少し思い出す。(「戦争とトラウマ」中村江里著 吉川弘文館

 

 それで、ざっくりとしたことを考える。妄想に近いかもしれないけれども、たたき台となる考えがあると問題に対処するのにとても助けになる。

 

 戦後の精神医学で活躍された方々のかなりの部分は陸軍の病院に所属していたらしい。陸軍では精神疾患になってしまった人間をできるだけ戦場に返そうとした。ただでさえ、物量で劣っていて劣勢なのだからせめて人間の量は減らさないようにしたいということか。それで病気の症状を怠けているだけだ、ということにしたがった。

 

 それに恩給の問題もある。恩給が欲しいから病気のふりをしているんだろう、となる。

 

 病気を怠けてる・金が欲しいだけ、で処理する傾向があった結果、病気に対する理解が進まなかったのではないか。その考え方が世間に広まった結果、お互いの首を絞めることになったのでは。具合が悪くなっても休めない。休むと言えない。

 

 日本の精神医学は欧米に比べて2~30年遅れている、と20年位前にお世話になった病院のスタッフが言っていた(今はどうなっているのだろうか)。このスタッフはイギリスで勉強していた。

 

 これを当時の主治医に言ったところ、そんなわけないだろ、バーカ、的なリアクションが返ってきた。自覚なし? (今思うとこんなことを主治医に言うべきではなかった。私は若かった。上記のスタッフもこの病院で働いていたし)

 

 

 

 

 なぜ戦争を止められなかったか、戦争は止められる、という考え方。市井を生きている普通の人間にそんなことができるのか。

 

 オリンピックのことだって、東京でやることが決まった当時には大部分の人が五輪開催には反対だったような。というか興味なかった。

 

 なんかわからないことだらけだ。みな自分の生活が第一だろ(皆はそうじゃないのか。おれだけか?) どっかの政党名みたいだけれど。その場を一生懸命生きている。それを超えることについてはなかなか考えづらい。飢えるのも空襲も嫌だ、くらいならかろうじて考えられる。難しいな。

 

 決まってしまった時点でコロナ下でも開催することは避けられなかったのか? 人間の意向とは関係なく動く大きな流れ。動かすにはまったく別の考え方がいる? 人心を操作する? それだと別の問題が起きるだろ。一気に問題を解決しようとするやばさ。

 

 

 

 

 罪を犯したことがない人間だけ石を投げろ、という考え方。これは詭弁だった。これを

 

 「じゃあ、罪を犯したことがない(という風に見せることができれば)石投げ放題のやりたい放題できるんじゃないか!」

 

 と考え出す奴が出てくるのでは、(そんなわけないだろ文脈を読めよ)

 

 どこかの国かよ。そういう人間が増えてきている気がする。

 

 

 

 そんなことを考えた。見た夢を静める(鎮める?)のにこんなに大量の情報が出てきた。なんなんだよまったく。