早朝。外は雨か。
夢を見た
(その1)旅館にいる。修学旅行か。
これから帰るところらしい。荷物を整理して外に出る。
自分が乗る観光バスは出発するところだった。
慌てて乗る。席に荷物を投げ出して座る。(終わり)
(その2)朝。自宅?にいる。見覚えがない家。出発する。
外はほとんど文明の香りがするものがない。ただの野山の中を徒歩で進む。
夕方になる。一軒の家を見つける。ここは廃屋らしい。ここで休むことにする。
家には入らずに家の地下で休む。そこには焚火がありほかにも何人かいる。
夜になる。まわりの人間と装備や弾薬の交換をする。
そこに何か入ってくる。皆銃をとる。入ってきたのは父だった。(終わり)
思ったこと
目が覚める。旅の夢ばかりだ。よく覚えていないのでここには書いていないが、ここ数日知らない外国の家庭や街が出てくる。アメリカだろうか。
読んでいた「キリスト教の真実」(竹下節子著 ちくま新書)を読み終える。
”普遍”という考え方はキリスト教から出てきた。それによって世界は発展した。そんな内容だった。
かなり面白かったが、思い切りキリスト教は素晴らしい的な内容(当たり前なのかもしれないが)に感じられた。自分は過去に母親の入信している教団ともめた経緯があるので、かなりそれを不快なものとして感じながら読んだ。
著者もそのことには気を使っているようだ。でもそのおかげで言っていることがわかりづらくなっている。難しいな。
相手の言っていることは相当踏み込んで考えなければ理解できないし、文脈がわからなければ対処できない。(特に日本の場合自国のものでない欧米の都合の中で生活しているのでそれが重要らしい)。これも読んで感じたことだ。
ただ、私のまわりの問題で疑問に思っていることは、教義がどうとかではなくて、この人たちは何がしたいのだろう? とか、この人たちは何が怖くてこんなことをやっているのだろう? とか、もっと人間の感情や欲求に近いものだと思う。
あの人たちは言うことがコロコロ変わるし、感情も大変に不安定だ。一貫性が全くない。ただ指示に従っているだけのように見える。教義がどうこう以前の問題だと思う。
本で描かれている宗教像とはほとんど関係がない世界。
人間って何だろう。人間の幸せってなに? 的なことか。
自らに戻って改めて思うのは、安全・安心・休息が切実に欲しい。ということ。どうしてもそこに帰ってくる。
今の私にはぜいたく品に思えるが、これを欲するのに理屈や言い訳は必要なかった。
今ここで生活している。その中での話。理屈の世界の話ではない。理屈など放っておいていい。