korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

ネットを見ていて思い出した大事かもしれないこと

 晴れ。

 

 布団を干す。

 

 

 

        夢を見た

 街中の通りを歩いている。商店が並んでいる。

 

 場面変わって学校。またテストだ。

 

 今回もかなりしんどい感じ。まともに点が取れなさそうだ。

 

 

 気づくとさっきの街中にいる。家族が焼肉店を予約したらしいので合流するために歩く。

 

 歩きながら考える。テストはどうなったんだろう。今回受けているのは「数学2」だ。

 

 あれ、「数学1」は必修だから落とせないけれども「数学2」は選択だから落としても別に大丈夫なのでは?

 

 それに気づいてぐったりする。助かったけれども不毛だ。できてもできなくても何の益もない。明日もテストは続く。

 

 焼き肉店に到着する。両親に姉、祖母までいる。みなソファで待っていた。

 

 席に移動する。父が私に焼いてくれと言ってきたので断る。

 

 なんだかイライラする。(終わり)

 

 

 

       思ったこと

 目が覚める。父はいつになったらトラブルを起こさずに自分の世話を自分でできるようになるんだ。それがイライラの原因か。

 

 でも、父はもう高齢だ。他人のケアが必要なのは当たり前だ。だがそれ以前に父には何らかの障害やトラブルがあるのだと思う。それに対して無自覚だと対応する側がつぶれる。それがかつての父を思い返してみての結論。

 

 

 

 最近ネットを見て思ったこと:

 

 ネットで様々な人が描いた作品を投稿できるサイトを眺めてみる。ピクシブとかそういうやつだ。

 

 作品だけでなく、その人がどんな生活をしているのか見ることができて、とても面白い。当たり前のことだが作品には作者がいて作者には生活がある。それがしみじみと面白い。

 

 

 また別のサイトを見る。TRPGというのが一部で流行っているらしい。コンピュータの代わりに人間がサイコロを振ってゲームを進めていく。本当の対話型だ。TRPGをプレイするためのお店までできている。

 

 そうか、人間には場が必要なのか。

 

 

 さらに見る。クトゥルー神話というものが流行っているようだ。というかまた流行りだしたというべきか。自分が若いころにも流行っていた。マイナーなジャンルなので一部で流行っていたというべきかも。

 

 当時神話のおおまかな枠組みだけはわかっていたが、神話全体が重苦しいトーンで覆われていてうんざりした。

 

 ハッピーエンドがない感じだ。神だか悪魔だか知らないがあちらの掌の上で踊るしかない。無力な人間。

 

 でもさ、いくらあちら側が強くてもこっちは人間で、人間には人間の生きていくための道理ってもんがあるんだよ、いくら努力しても神や悪魔にはなれない。あちら側では生きていけない。

 

 そう思った。・・・自分がいつも見ている夢に少し通ずるものがないか? 嫌な感じだ。学校はダンジョンか何かかよ。そこで人間の道理を見つける。

 

 

 

 ネットのみんなは自分の好きなものに対して素直に取り組んでいる。けっして必死でないのがいい。

 

 

 それで昔を思い出した。学生時代。

 

 まわりにいたのはオタクだらけだった。先生ですらそうだった。いつもアニメやゲームの話題を当然のように話していた。私はそれをなんとなく聞いていた。

 

 なんで「あちら側」に行かなかったのだろう。・・・さっきも書いたけれども、こういうことには場が必要なのだと思う。のびのびと展開できるだけの場。

 

 うちは家庭内の事情でアニメを見ることはできなかった。知的障害を持っている家族がいてそちら優先だったし、母の入信している宗教のせいで、私にはテレビのチャンネルの選択権(昭和の時代の言葉か。今みたいに皆にスマホがあって、1人に1つディスプレイがあるわけではない)はほぼなかった。そのためウルトラマンガンダムなどは見ることができなかった。

 

 

 ・・・いや、見ることはできてもそこに教団のクソみたいな解釈をされるので気分が悪くて見なかったのかも。自分が正しいというために他者を汚す目的の解釈。好きなものを汚されるのは困る。そういうことかも。

 

 そんなわけで、うちのテレビにはまじめな(まじめそうにみえる)番組ばかり映っていた気がする。

 

 

 でも、「本当に」好きだったら、隠れてでも見るだろ。そうかもしれない。そこまでの熱量はなかった。・・・でも、「本当」ってなんだよ、事実としてこうなっているのにそれとは別に「本当」があるとでもいうのかよバーカ。

 

 立派そうに聞こえることを言って他人をけなす奴は大嫌いだ。・・・落ち着け俺。

 

 

 

 脱線した。なんだっけ。そう、まわりにいたアニメ好きの同級生との思い出。アニメの試写のイベントに連れて行ってもらった記憶がある。あれって貴重な経験だったのかな。かなりの人間が来ていた。彼らにはそれぞれ人生や生活がある。

 

 今そのことに改めて気づいて驚いた。当時こういったイベントを主催していた人たちは、今生きているとすればかなり高齢のはずだ。どこでどう暮らしているのだろうか。

 

 改めて思う。そういう場こそが生活なんだな。そこで好きなものや大事なものを表現したり共有する。それが生きていく基礎になるのか。そんなこと気づかなかった。

 

 

 そういうことかもしれない。なんだか大事なことを知った。

 

 

 

 ・・・ん? TRPG? あれ、俺昔サイコロ振ってやってたじゃん。D&D。しかもゲームマスター側で。

 

 ゲームマスターというか、その真似事だな。シナリオなんてなく、その場のアドリブでサイコロ振って適当に進めていた。(こういうことをしていると、プレイヤーがゲームマスターの頭の中で迷子になるのでやめたほうがいいかも)

 

 そのうち、「あれ、俺たち受験生だからこんなことしている場合じゃなくね?」ということになって自然に消滅した。実質3か月くらいしか活動してなかったな。

 

 こういう趣味性の高いものを遊ぶにはそれなりの準備と時間と気合がいる。もちろんお金もいる。そういうことかも。

 

 

 勉強ではない学校での大事なこと。

 

今週のお題「何して遊んだ?」