korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

しかたがない、のせいで悪化したのか。親切なのか支配なのか

 晴れ。

 

 ここのところずっとこんな天気。

 

 今日は成人の日だ。

 

 自分が成人した当時のことはほとんど記憶がない。

 

 もうウン十年も前の話だし、具合も悪かったからだ。

 

 

      夢を見た

 自宅の台所で皿を洗っている。

 

 洗いかごのボウルにまだ洗剤がついているのに気づき、洗い直そうとする。

 

 そこに母がやってきて、洗剤がついているのを見つけて注意する。

 

 「今やるところだったのに」と言うと、注意されないようにしておけ、と母は言った。父は近くでボンヤリとたたずんでいる。(終わり)

 

 

     思ったこと

 目が覚める。本当にありそうなシチュエーションだ。思い出して腹が立ってきた。

 

 

 年末年始は母がぎっくり腰になってしまい、家事の大部分を私がやった。(今はだいぶん良くなってきている)

 

 おせちは楽だ。それを発見した。おせちを出しておけばほとんど料理の必要がない。あと少し何かを付け加えるだけでいい。おせちも出来合いのものをお重に詰めるだけだった。

 

 父はお酒ワールドに旅立っていかれた。なのであまり頼りにできなかった。

 

 肉体的には楽だったが、精神的に結構きつかった。ほぼワンオペ。

 

 (以上愚痴でした)

 

 

 

 それで思い出す。また家庭内の問題。(またキツめの話なので注意)

 

 

 私が子どものころ、うちには介護が必要な人が二人いた。半身不随の祖父と、知的障害の姉だ。

 

 母には子育てと介護が同時に来た。それを母の入信していた教団の信者が助けてくれたことになっている。少なくとも記憶の中ではそうなっている。

 

 だけど、本当にそうだろうか。というか本当にそれだけだろうか。

 

 

 肉体的には(ある程度)楽だったかもしれないが、精神的にはそうではなかったのでは。

 

 母は別の件で教団のお偉いさんに家族の問題を相談している。お偉いさんは「我々はそういう問題には手を出しません」と言った。

 

 あくまで布教活動のアシストをするだけ、(あとのことは知らない)といった風だった。

 

 母は助けてくれているから感謝しないと、と言いながら耐えていたと今では思う。(陰では結構文句を言っていたが、本人はそのことを自覚していないようだ)

 

 

 助けてもらっているはずなのに、なんだかきつそうで、子どものころの自分はよく母親に暴力を振るわれたし、精神的に壊れた母親をよく見た。

 

 あれはなんだったのだろう。

 

 

 ”助けてくれてありがたい、感謝の感情が自然に起きる”、ではなくて、”助けてやっているのだから感謝しろ。文句を言わずに布教活動で働け”、ということだったように今では思われる。母はその教団の理屈に同化していた。

 

 ”感謝の気持ちが起きる”、のと”感謝しろ(文句言うな)”ではとてつもない差がある。

 

 前者は助けてもらえた側の立場に立っているが、後者は助けてやった側がやっていること(搾取)を正当化するためのセリフだ。

 

 感謝することを習慣づけするのは”いいこと”のはずなのに、そこにとてつもない”悪”があった。そのことを今でもずっと考えている。

 

 

 助かったのは事実なのだから文句言うなって?

 

 まさにその気持ちにつけ込まれたのだと思う。親切の形をとった支配。

 

 助けてもらったのだから”しかたがない”。この日本人によくある”しかたがない”という気持ちが物事を悪化させた。改善できなかった。主語が大きいけれど。

 

 

 母も感謝感謝と言いながらどんどん教団の理屈にからめとられていった。一見いいことのように見えるから厄介だ。

 

 実際は言いなりのロボットみたいな人間ができあがるだけだ。ポジティブな言葉を使えばどんな無茶なことでもいうことを聞く人間。

 

 それで家の中が滅茶苦茶になっていった。家庭内の問題と教団の都合。それが同時に来た。家庭内の問題も何も解決してないのに(あちらの都合で)強引に解決したことにされた。

 

 

 だから、助けてくれたのだからいいじゃない、我慢しなさい、的な言動では全く解決しない。というかその姿勢がさらに問題を悪化させる。

 

 素朴な”いいこと”から、いくつもレベルが上がったトラブル(悪)に全く対処できなかった。

 

 

 そういうことだったのではないか。

 

 あれから何十年も経った今やっと整理することができた。

 

 それができたのもあの事件のおかげかもしれない。