korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

”他人に親切に”、以前にすることがあるのではないか

 曇り。やや湿度が高いがさわやか。

 

 もう台風の情報。まだ梅雨すら来ていないのに。

 

 

 買い出しに行く。

 

 川沿いを歩く。いい風景。

 

 一瞬写真に撮ってブログに上げようかと思ったがやめる。

 

 シェアするよりも自分がこの風景を味わい尽くしたい。

 

 だから写真は撮らなかった。

 

 

 取水堰の柱の根元にもたれかかっておっちゃんが眠っている。本当にリラックスしているよう。静かな時間。

 

 

 もうすぐ父の日なので、早めにプレゼントを渡すことにする。ワインがいいだろうか。

 

 スーパーで値段を見る。・・・また値が上がっている。酒飲みの父に中途半端なものは贈れない。

 

 父は酒のみで、あればあるだけ飲んでしまうのでハーフボトルにする。自分が決めた銘柄にフルボトルはたくさんあったがハーフはなかなかない。

 

 数店舗探してやっと見つける。

 

 フルボトルでこの値段だったらハーフだったらそれなりに安くなるのでは、と思ったがそんなことはなかった。むしろハーフのほうが割高。

 

 あきらめて安めのワインにする。とにかく何とかなってよかった。値札を見てバタバタと動き回ったので確実に防犯カメラの丸や四角のフレームで囲われていそう。怪しい人。

 

 父はごっつぁん体質で誰かから物をもらってもほとんど感謝しない。そのことを思い出して急に疲れた。

 

 買い物を終えて駅で電車を待つ。他人にプレゼントをするのもいいけれど、その前にすることがあるのでは、と思う。

 

 ”他人に親切に”とか”絆が大事”とか言うけれど、大人にそれ以上の知恵がないのは本当に困る。

 

 特に自分みたいに家庭内に複雑な問題を抱えている場合にはなおさらにそうだ。私がこれまでお世話になった人の中には専門家であっても親切や絆レベルで知恵が止まっている人も結構いた。

 

 いや、お世話になったのは本当にありがたいけど、これはまた別の問題だ。それにお世話になったのだから文句言うな、というのは母や母の入信している団体がよく使う考え方だった。相手の苦情を封じ込めるときに使う言い方。だからやっぱりこの考え方は問題があるのだと思う。

 

 うまく言えないけれど、大人にそういう基本的な道徳を超えた複雑な知恵がないと若者たちに”示しがつかない”というか。”示し”とか古い考え方なのかもしれないけれど、そう思う。なによりも問題があったときに困る。

 

 つまり、まわりにそういう大人がいてほしかった。ということ。

 

 ”世の中にはとんでもない人間がいる”、とか。そういう実際的な知恵も教えてほしかった。そういうためには実際にそういう人間の存在をわかっていないといけない。

 

 

 電車が来たので乗る。最近の電車はドアの上だけでなく、網棚の上にまでディスプレイがついている。私は知覚過敏なうえ、疲れているのでかなり神経にこたえる。

 

 

 自宅に帰り、父にワインを渡す。珍しいことにありがとうと言われた。驚いた。だけどこれはこれでなんだか落ち着かない。