蒸し暑い。などと言っているレベルではない。
情緒も何もないレベル。
この過酷な暑さを題材にして、和歌や俳句を詠める人間がいたら、もう本物だろうと思う。
辞世の句にならんようにな。
・・・で何で歌の話してるの? 暑くてもう訳が分からん。
買い出しに行く。電車に乗る。
知らない駅で降りる。
雰囲気のあるせんべい屋さんがあったので覗く。
いつの間にか店主が出てくる。年配の男性。
こういう雰囲気のある古そうなお店の主は佇まいが静かだ。
誰もいないのかな? と思いながら商品をながめていると、スッと出てくる。
それでこっちは、どこにいたんだ? と驚く。
せんべいを一袋買って店を出た。
スーパーとドラッグストアで買い物。
店員のおばちゃんは怠そうにしている。レジ応援を呼んでも誰も来ない。
駅に戻る。知らない街での買い物は楽しい。
立ち食いそば屋で昼食。
冷やしきつねは温かいやつでよかったですか? なんて聞いている。
暑すぎて、それを聞いてももうなんとも思わない。
食べ終わりホームに行く。
ホームに具合の悪い人がいたようで駅員が呼ばれている。駅員は丁寧に対応している。
それを見て、"聖職"なんて言葉を思い出す。
聖職なんて死語だよ。でもなんで死語になってしまったのだろう?
本人の心意気だけの責任にするのは無茶だし、そうではない気がする。
本人だけでなく、まわりの環境も聖職を可能にしているのではないか?
不安定な雇用のせいもあるのでは、なんて勝手に思う。本人だけでなく、まわりにいる人間含めての話。
安定している、というか、正規雇用だったら、所属は違えど俺たちみんな正規軍、みたいな仲間意識が生まれてきて、その誇りが一体感を生んで聖職を可能にする場を作っているのでは?
非正規の傭兵ばかりになったら、みなバラバラだ。他人のことなど知らないし、自分を守るので精一杯。
ストレスでやらかしたり、やらかした人間を叩いたり。
どこかで、俺たち一緒。みたいな共通の安定した場が必要なのか?
なんてことを思った。ひどく漠然とした話だ。
こんなことを考えるなんてやっぱり夏だな。
うちに帰る。父と母が台所に立っている。母があれこれ手を出して父の動線を邪魔するので父がふてくされている。
母は、こっちの親切がわからない父が悪い、と言う。それでさらにこじれる。
こんな時どう思えばいいのか?
いつも通りで何より、か?
そんな訳はない。いつも通りでどっと疲れた。
コンビニで買ったアイスクリームを食べる。復活した。
母にも半分分ける。母の機嫌もなおった。父はお酒ワールドに旅立っていった。
やれやれ。今日もなんとかなった。