雨。
驚くほど暗い。
(今回は愚痴です)
食事時に母が話す。信者の○○さんが具合が悪くて入院している。
それを聞いて一気に具合が悪くなる。母にやめてくれ言う。
ただ話しているだけなのに何故そうなるのか、と母。(母の「ただ~してるだけ。なのにあんたは」というのは、トラブルが起きた時にごまかすために母がいつも使う言葉だ)
そして昔私が教団に関わっていた時のエピソードを延々と話しだす。ますます具合が悪くなる。
お前の手は汚れている。批判をするなどもってのほか。ということか。ならば全力でけりをつけないといけないのか。
実際今回も「あんたの心が悪いだけ」とはっきりと言われた。具合が悪い相手に親切にしないのはおかしい、ということらしい。とても気分が悪い。
その部分だけ取り出せば、まるでまともなことを言っている風にすら見える。
だけど、これまで彼らがやらかしたトラブルというものの蓄積がある。彼らは反省も償いもせずにそういうことを平気で言う。
そういうものに関わることはできない。
人には親切に、とか言うけれど、じゃあ、あんたの目の前にいるのは人ではないのか。何故カウントしないのか。そういう疑問。これは理屈でない部分での話か?
彼らの行動は刹那的だ。その場で一見まともそうなことを言ったりやったりする。あとからそれをやったことで起きたトラブルについては全く関知しない。
それで何度でも同じようなトラブルを起こす。そしてそれを指摘できなかったやつのせいにする。
こっちは文脈で考えている。それをやったらあとからどうなるか。誰かに迷惑がかからないか。
そうか、彼らには責任という概念がないのかもしれない。その場その場の見てくれが大事なのか?
パフォーマンスしては一見立派に見えるので、それに対して苦情を言っているこっちがおかしいように見える。(そしてそんな風に感じることもある)
本当に苦しい戦いだ。もっとしなやかな戦い方があるのかもしれないが、自分にはそれができない。それでまるで狂人みたいな扱いをされている。狂人なら狂人として戦うしかないのか。そんな風にすら感じる。
あまり卑屈にならないこと。
国会では宗教団体に受けた金銭的な被害を救済する法案が成立した。不安になるくらいの速いスピードだ。
でも、被害というのは金銭だけではない。金銭だけでなく、人生や場合によっては命もだ。そういうものは形になりづらいので問題として取り上げるのがとても難しい。
そしてそういう抽象的な問題の場合、口がうまいやつが有利になる。言い訳とかそういう分野では彼らのほうが一枚も二枚も上だ。そして相手は一人ではない。
などと、愚痴を言ってみた。でも今一つ問題がどこにあるのかはっきりとつかめていない。敵の姿が見えない、ので戦い方がわからないでいる。まだ勉強が必要のようだ。
まったく、やらかしている側はやりたい放題やっているのに。これもまた愚痴か。