雨。
こういう天気が本来の今の気候だろう。
台風が来る。
一体どうなっているんだ。
変化がありすぎる。
「本来」なんて考えるだけ無駄になってしまったのか。ただ来たものに対応する。
既知がない。積み重ねができない。
一昨日買い出しに行ったときのことを思い返す。
携帯がつながらなかったので、ショップに行く。店員と話す。個人の機器の問題ではなく携帯会社全体でトラブルになっていると知る。
店内はガラガラ。たくさん人がいると思ったが意外だった。
私と同じように、つながらないのが携帯の故障ではないかと思って来る人が2,3人いただけだった。
ガラガラの理由は、通信ができないので開通したかどうかの確認ができず、手続きのしようがないため、とのことだった。
これでは新規契約も機種変もできない。なるほど、それでは来ても仕方がない。ガラガラなわけだ。
帰る。復旧まで待つことにする。
(これを書いている現在はつながるようになっています)
不具合が起きたのは深夜だという。深夜は通信量が少ないのでは、という漠然としたイメージがあったが、そういうわけでもなさそう。
自覚していない世界で膨大な量の情報が流れていると想像して、めまいがした。
帰ってきて思う。
ここ最近の情報量の多さや変化のスピードは異常だ。
ここ最近というより、100年くらいのことか。
昔の人の何回分の人生を生きているのだろう。
人間なんてそんなに変わらないのだから、そんな変化についていけるわけがない。情報が増えても身は一つだ。
結果何かを会得するというよりも、ただ目の前の出来事に場当たり的に対応しているだけの人生になってしまった気がする。
学校だって、何かを理解できた、身についたという実感が無いまま卒業してしまった。
これは個人差もあるのだろうが、こんなのあんまりだと思う。
学んだことと、この世界がどういうふうにつながっているのか、いまだによくわからない。
そもそもお前はそれがしたかったのか?
また別の話。うちはあれをやれ、これをするなという束縛が大変にきつかった。
そうなると、そう言われた他人の都合を生きることになる。
そうなると、禁止されているかいないか、だけで物事を判断するようになる。
禁止されたことをやっている人間がいたら、大声で叩く。背景に何があるかは考えない。それだけの人間。
自分の価値観を持ったり、自分で判断できるようになるには、そこから離れないといけない。
人間個人が何を美しいと感じるかは離れてみないとわからない。美学は善悪ではなかったのか。
だけど、そのすべき・するな、から離れるのはとても困難。
すべき・するな、以外にも大事なものがある、ということすら知らないままだった。
そこに気づくのに、人生のほとんどの時間を費やしてしまい、もう何かをする体力なんて残っていない、そんな悲劇的な状況。
情報の多さと支配の強さ。これから抜け出すのは大変だ。
自分自身の目でこの世界を見ること。
そんなことを思った。
蒸し暑いとこんなことを考える。夏は読書に向いているのかもしれないな。考える季節。