曇り。
湿度が高い。
今日は通常の梅雨末期の天気か。
夢を見た
峠道沿いのドライブインにいる。家族も一緒だ。
ドライブインは誰もいない。いくら待っても店員は来ない。もう11時過ぎなのに。
ぞろぞろと他のお客も集まる。
どこかに電話する。お客は4時間に1組だけ案内するとのこと。くわしいことはタカギさんに聞いてくれ、と言われて電話は切れた。
店の奥の方にタカギさんはいた。話すと奥の部屋に通される。
部屋は布団が引きっぱなしだ。旅館もやっているらしい。父はさっさと布団で寝てしまう。
食事はいつになったらくるのかまったくわからない。母と私は自分で買ってきたケーキを出して食べ始めた。
私も寝てしまおうかと思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。今日もだるい夢。
考える。また鬱臭い話。
まったくの個人の見解というか妄想です。
最近のニュースは見ていて本当にダメージを受ける。
特に安倍元総理の話だ。宗教団体絡みだし。全く別の団体だが、家族が宗教団体に入信していて、家庭内がひどいことになっているので、他人事とも思えず、余計に堪える。
団体のお偉いさんのコメント。彼を救うことができなかった、というような内容を発表。
これだけの事件が起きて、実際に彼の家族は団体の活動でボロボロになっているのに、その情報が少しもフィードバックされていない。
本当に恐ろしい。一体これは何なのだ。
これはもう、自分の都合のいいことしか考えていないというレベルではない。
本当に見えていないのか。
反省・謝罪するどころか、さらに彼らの都合で飲み込もうとしている。こんな人たち相手ではもがけばもがくほど、どんどん追い詰められるし、そうなると反撃に出ようと考えるかもしれない。
安倍さんはその巻き添えを食っただけだ。
関わった人間が全員不幸になっている。
どういうことなのだろう。
以前のブログでこれは乖離なのではないかと書いたけれど。
心や感情の動き、痛みから自分自身が離れてしまっていること。正式な定義は知らない。
乖離することで、動揺したりブレることがなくなり、一見立派な人間に見える。けれど、ただそれだけで、本体は愚かな人間のままだ。
センサーが壊れただけか。
痛みを感じなくなることで他人の感情の機微がわからなくなるのでは。
痛みのおかげでおかしなことをしているということがわかり、引っ込めたり止めることができている。
痛みや動揺は辛いけれど、そのおかげでおかしなことをしなくなるし、共感もできるようになる。他人の痛みもわかるようになるということか。
痛みや辛さが安全装置として機能していた。それらのおかげで疑う心も働いていたのかも。理性と感覚・感情って思ったよりもずっとつながっていたんだな。
彼らは人為的にそれらを止めてしまった。それで起きるトラブル。
「私はいいことをしているのに、なぜ嫌われるのか」とか、そういうことを昔よく聞いた。
当時は訳がわからなかったが、彼らは本気で言っていたんだ。
センサーが働かないせいで、まわりからのフィードバックが効かなくなっている。そのせいで気づかない。
そうなると立派そうな理屈なんていくらでも言えるから、いくらでもだまされる。だまされる、というより評価できなくなくなるのでは。評価の基準がなくなる。
そういう仕組みなのではないか。
本当の地獄じゃないか。良かれと思って一生懸命やったことで、他人に迷惑をかけて嫌われる。本人も困窮する。しかもその事に気づけない。
いくらなんでも酷すぎる。あんまりではないか。
この事件のおかげで、私のまわりの状況がだいぶん理解できるようになってきた。
こんなことを書くなんて不謹慎かもしれない。
でも自分の中できっちりとけりをつける必要があったので整理して書いてみた。
この事件に巻き込まれた方、犠牲になった方のご冥福をお祈りします、と言うのが礼儀だと思うけれども、そんな言葉では軽すぎて言うべき言葉が見つからない。
私にとってそれくらい重い事件だった。