晴れ。
今日が今年の真夏日最終日?らしい。
本当か?
何やらまわりがまた騒がしい。
母親が私に何かさせたいようだ。家庭内のちょっとした用事。
私はやりたくないし身体がガタガタだ。
「あんたがやらなければ教団の誰かが来てやる」と母は言う。
それは勘弁だ。「私はそれでいいが、あんたは困るだろう。わかったらやれ」
ということらしい。
ここはあいつらが好き勝手やっていい場所ではない。何故かそれがわからない。
そして、「あんたは自由だ。あんたの意思で決めろ」と母は言う。
・・・あれ? これまさにカルトが信者に対してやっていることじゃん。
選択肢のないほうに追い込んで、まるで本人の自由意思で決めたように見せかける。
ちょっと許せない。全面的に支配するというよりも、自分の都合のいい場所だけしゃしゃり出てきて、その場面だけコントロールする。
その資格がないのに。他人の生活の選択する場面に、自分の都合を突っ込んでくる。
全面的に管理しているわけではないから、自由で束縛も強制もしていないように見える。
普通のおばちゃんに何でこんなことができるのか。
・・・もしかして普通じゃないのかも。困ったな。
これまでのことも、そもそも全て彼らの都合でやったことなんだから、こっちが尻拭いしないで、彼らに責任を取らせなければいけない。
いくら自分が悩んで考えても解決しないのではないか。
うちにはうちの都合があるのだから、善意だかなんだか知らないけれども、介入すること自体がおかしい。大きなお世話だ。
何故か母にはそれがわからない。母は自分と他人の違いがわからない。ダラダラとつながっている。私は"いいこと"をしているのだから、他人も自分の言う通りになって当然だと思っている節がある。
信仰は強さかもしれないが同時に愚かさでもあるようだ。
そうか、家庭内の用事に教団の都合が絡んでくるからややこしくなるのか。それで聞いているこっちが混乱する。
教団と母親の二重構造。本当にややこしい。