昨日の夜半からかなり涼しい。
季節が進んでいる。
自分のことをあれこれ書いている。
すると、書いたことどうしがつながりを持って、頭の中でひとつの世界ができあがってくる。
こんなことが起きるとは思わなかった。
言葉を練り上げることで新しい意味や力ができてくる。言葉は変わる。
言葉には”正解”があって、それを覚えて正しく使うものだと思っていたのだが。
正解がある(それ以上はない)、と思ってしまうと考えなくなる。そしてただ人の言うことを、何となくぼんやりと聞くようになる。
そうすると、もっともらしい言葉を使う人が、皆正しい気がしてくる。
それでだまされる。実際はそんなことはない。理屈なんていくらでも作り出せる。
あるいは、「どうせ言葉なんて」という態度で考えなくなる。
考えないと言うのは想像以上に悲しいことだった。この世界とのつながりがなくなる。
自分はどうして考えなくなったのか?
まわりには、そんなことを考えてどうするの? とか。もっとポジティブに考えろ、という人たちばかりだった。
確かに自分みたいな人間は面倒くさいのだろう。皆忙しいときにゴチャゴチャ言われたくない。
忙しい、というのがかなりの原因のように思う。まわりも忙しいし、自分も忙しかった。
考える暇はないし、考えることが悪のように思えてくる。
でもそれでは負け戦だ。ジリ貧だ。
ポジティブに考える、というのは母の入信していた教団がよく言っていたことだ。
でも、今思い返してみるとその言葉はあまりいい使い方はされていなかった。
彼らが誰かに迷惑をかけたときに、謝る代わりに相手にそう言う。
文句を言うな、ということか。
あるいは自分が教団のやっていることで困窮しているときに言う。
自分自身にも文句を言わず動け、と言っている。
自分や他人に対して何かをごまかすときに使っている。
そういうことのようだ。気持ちや事実をごまかすときに使う。
考えない、あるいは都合のいい解釈をする。それは有害。
事実や自分の気持ちをちゃんととらえる。そこがスタートだった。
そんなことを思った。