曇り。
朝晩はちゃんと秋の雰囲気。
夢を見た
いつものように学校にいる。学食か。
同級生と先生の話をしている。
「美術の受け持ちはテツコ先生(男)だ」
「うちは違うよ。美術は女の先生でテツコ先生は他の教科だ」
そんな話。
場面変わって授業中。そのテツコ先生の授業。テツコ先生は黒縁メガネの30~40歳くらいの先生。髪の毛はボサボサだ。
そこにうちの担任が入ってきて「終わりっ」と言う。授業終了らしい。
そこで自分は授業を聞いてもいなければやる気もないことに気づき戸惑う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。うわー、態度悪い学生だな。
授業に対する姿勢も悪いけど一番よくないのは、自分がどうでもいいと思っていることで時間を浪費していることだろう。
ただ、あの当時を思い出してみると、学校という強固なシステムに対抗して自分のしたいことを見つけて、見つけたことを貫き通す根性や体力はなかった。それが許される環境でもなかったし。
今のほうが学校のシステムは緩くなっていそうだ。そんな気がする。
最近ニュースで見たことで気になったこといくつか:
(その1)マイナンバーカードのこと。免許証も保険証もマイナンバーカードに統合すると言っているけれど、他人に知られてはいけないマイナンバーを書いたものを持ち歩くのはどうなのか。
身分証替わりだったら他人に見せなければいけないこともあるのだろ?
紛失したときも心配だ。再発行の手続きのとき、手続きに来た人間がまさにマイナンバーカードの本人だってどうやって証明するのか。
免許証など証明するものが別にあるのなら可能なのだろうけど、統合してしまって別の何かがない場合はどうやって証明するのか。
係の人「証明できるものを出してください」
「だからそれをなくしたから手続きに来ているのだろうが!」
係の人「ないのだったらできません」
「だから本人だって本人が言っているだろうが」
ってなことになりかねない。
本人よりも数字やカードのほうが上になってしまっているのだろうか。
(その2)宗教のこと。やっぱり素朴な疑問として、なぜ実際に他人に迷惑をかけているのに謝らないのだろうかと思う。それは自分が何を信じているのかとは全く関係がないことだ。理屈はいくらでもつけられるのだろうけれど。
感覚が追いついていない。感覚が追いつくような出来事があったら、それはそれで悲劇なのかもしれないが。それだけ深くかかわりあってしまったことを意味するからだ。
これまで感覚が追いつけないレベルの量の情報や他人の都合を叩き込まれていたのか。追いつけなくては自分でコントロールすることは不可能なのだろう。