晴れ。
穏やかな天気。
家族がいなかったので自分で料理をしてみた。
飯を炊く。煮干しでだしを取って味噌汁を作る。具はわかめのみ。
煮干しはそのまま食べた。味が濁って魚臭い。でもおいしい。
おかずは面倒なので冷凍食品で済ます。
自分で料理を作るととても落ち着く。静かな時間。
最近のことを思う。10月は4回目のワクチン接種をやり、はじめての献血をした。そして久しぶりにゲームをやってみた。
身体に負荷がかかることばかりだ。そのせいか今もかなりだるい。
静かだとゆっくりと考えて思い出すことができる。昔の記憶。
小学生の高学年のころ。母の入信していた宗教団体に連れていかれるのが嫌でかなり荒れていた。
母はお偉いさんを連れてきた。そのお偉いさんと話した。この団体はおかしい。後ろで誰か糸を引いているのでは、などなど。
まだ小学生だったので感じたことをうまくは言えない。だけど必死だった。ただ皆が自分で考えることもなく、上から言われた通りに立派そうに聞こえることをベラベラしゃべり、子どもに暴力をふるい、トラブルを起こして平気な顔をするのが変だと思った。
それを聞いたお偉いさんが言ったことは具体的には覚えていないが、こいつはダメだ、ということだったと思う。
「迷惑をかけて悪かった」、ではなくて、「こいつは使えない」、ということだ。
人間ではなくてただ道具として見られていた。
それを言っているお前もそういう風に扱われているのに何故そんなことを言うんだ。このことがものすごく悲しかった。
それにこんなこと子どもに向かって言っていいことじゃない。
相手とコミュニケーションを取るつもりがない。ただ自分の尺度のことしか考えていない人間。
”使えない”と思われたおかげで離れることができたが、そのダメージはかなりでかかった。
今思えばあれは組織の理屈とズブズブに同化してしまった人間の言うことだったのだ。
そんな説明はどうでもいい。相手を理解しようとすることで、無意識のうちに相手の理屈と同化してしまい、かえって相手に利することになってしまうことがある。それはトラウマの症状の一つでもあるらしい。
ただ自分の思ったことを書けばいい。書かないと意味がない。世間からずれているとかそういうのはどうでもいいし、何の役にも立たない。
ずれているかどうかを気にするならば、こんな経験をしている時点で相当にずれてしまっている。そうなったらもうずれていることを気にする必要はなかった。
あと気づいたこと。
立派な人間もそうでないクズも立派な言葉を使ってしゃべる。立派そうに聞こえる言葉で相手を搾取する人間。
どちらかというと立派な人間は権威ではなくて自分の言葉を使ってしゃべっている。そういう人はこの世界のことを自分で理解している。
そんなことを思った。