日差しは暖かいのに寒い。
ちぐはぐな感じだ。
眠れず。夢も見なかった。
読書(*)をして思ったこと:
*:「エクスタシーの神学 ーキリスト教神秘主義の扉をひらく」(菊池章太著 筑摩書房)
意外だったのは「パンセ」を書いた(というか遺した)パスカルが奇跡について言及していることだ。
自分はパスカルを知らず「パンセ」を読んだことがなく、勝手にインテリの人間だと思っていた。
そしてインテリは信仰や奇跡など信じない、と思っていた。
そんなことはなかった。当時の人間にとって、キリスト教の信仰は当たり前のことだった。
げんにパスカルの姪は”奇跡”により眼病が治っている。そのことが奇跡であったことは教会から正式に認められた。そして奇跡認定に医師まで係わっている。現代の自分からは想像もつかないことだ。
今だったら薬物治療や麻酔をかけた上での手術で治しただろう。信仰でなく、科学の力だ。
自分の勝手な思い込みだが、当時の人間は現代の我々よりも”生身”でこの世界とつながっていた気がする。
健康情報雑誌や治療法などの理屈や、薬やサプリメントのケミカルでなく、(文字通りの)手当てや魔術的なものも含めた祈りだ。
他に選択肢がなかったというのもあるのだろうけど。
そういう人たちが考えたことと、現代の我々が考えることとは、だいぶん違うのではないか。
彼らと比べると現代の我々はずいぶん頭でっかちだと思う。情報や物質を摂取している。
ラブレーは「良心のない知識は魂の荒廃」と言ったという。
この言葉に上で書いたことが関係しているような気がする。
また、しつこく母のいた宗教団体のことを思い出す。彼らは宗教といいながら、理屈をベラベラしゃべっていて、ある意味”普通”の人たちよりも俗物っぽかった。
子どもながらにそう感じた。そのことは上で書いたことに関係がありそうだ。
理屈でなく、身体を使う。心を動かす。それで何かが起こる。