晴れ。
また一段と寒くなった。
東京で氷がはる寒さ。
夢を見た
自宅にいる。母と亡くなった姉も一緒。
皆でどこかへ出かけるらしい。少し戸惑う。
電車に乗る。乗り換えるため降りる。
いつの間にか一人になっている。
のどが渇いたので飲み物を買おうと思う。
早朝のためかやっている店が少ない。
駅近くのビルの中に売店があったのを思いだし向かう。
わずか30メートルほどの距離なのに、本当にこんなものをつける必要があったのか。
乗る。歩道の手すりに小物入れがついており、そこに焼肉のタレの瓶がたくさん入っている。
何かのフェアをやっているらしい。歩道の先に焼き肉店がある。ああそうか、とたいして考えもせずに納得する。
売店まで来る。だが、動く歩道の終点は環状になっており、そのまま元いた場所に戻っていく。
売店の前を通りすぎて、結局買えずじまい。
駅のコンコースまで戻ってくる。若者3人が踊っている。その横を通りすぎる。
自販機があったのでそこで買う。
駅の入り口横から地下に入る。地下鉄に乗り換えるようだ。(終わり)
思ったこと
目が覚める。久しぶりに変な夢を見た。
朝の早い時間に、父がどこかへ出掛けるらしく、母をたたき起こして食事の準備をさせて、大騒ぎをしながら出ていった。
一人でそっと出ていけばいいのに。いつもの父だ。
というか、これまではここまでひどくなかったような気がする。
洗濯、掃除をする。洗濯物を干しながら考える。思い出す。
これが真理だとか、これが正解だとか、散々言われて育ってきた。
断言されてしまうと言い返せない。そんなもの否定も肯定もできない。
だけど、世の中”正しいか・正しくないか”、だけではなかった。
何かがの考えが”正しい・正しくないか”なんて、世の中全体の1割も占めてない。
大部分はそれ以外のものだ。関係ない”その他”がほとんどを占めている。
そういう質問のしかたを失敗したアンケートの結果みたいな世界が”本当”なのだろう。
その他・興味ない・どちらにも少しずつ関係がある・どちらにも全く関係がない。そもそもその質問の世界の中にはいない、などなど。
だから、相手の言うことに乗っかって考えてしまうのは危険だ。相手の考え方の枠組みの中にとらわれてしまう。結果取り込まれる。そういうこともある。
相手が言っていることが正しいかどうか、といっている時点で相手の土俵に乗っかってしまっている。
そうなると相手が断然有利になる。何故なら、乗っかったその瞬間から相手のルールの中で戦わなければいけなくなるからだ。相手はいくらでもルール変更ができる。
うちのばーちゃんはそれで信者になってしまったのだろうな。娘を取り返しに行ったのに。
肩透かしを食わされた。真っ直ぐすぎたんだと思う。というか相手が悪かった。
彼らはどこかおかしい、と漠然と感じたあんたのセンサーは正しかったんだよ。今になってやっとわかった。
それは身体が持っている知恵だった。
今も彼らの言った理屈を思い出してとても具合が悪くなることがある。
お前は裏切り者だ・我々が絶対に正しい、などとといった感じだ。
そういうときには歩く・音楽を聴くなどして、”今ここ”の理屈の入らない世界に戻ってくる。
そうすることで理屈の”悪魔”から逃れることができる。
具合の悪いときには本を読むのもやめる。
そして自分に戻る。そうしないでそのまま読み続けると、勉強で得た知識が彼らの言ったことを強化するだけになってしまう恐れがある。
何がまともで、何がまともでないかに気づく知恵はそこらへんにあるようだ。
これは忙しくしていては無理だ。
少しずつ賢くなっている。本当に孤独な戦いだ。