晴れ。寒い。
また雨が降らなくなった。
空気が埃っぽいうえに海沿いだからかしょっぱい。
夢を見た
下町。母方の祖母の実家の近くか。
街を歩く。道が狭く入り組んでいる。
アーケードの商店街に出る。模型店など子どもが喜びそうな店が並んでいる。
実際にいるのも子どもだらけだ。下町のせいかややガラが悪い子どもたち。
居心地が悪い。自分みたいな年齢の人間がいるところではない。
帰る。帰りは川沿いの道を見つけてそこから帰る。往きに通った道よりわかりやすい。
川には驚くほど大きな鯉がいる。見ていて不安になるレベルの大きさだ。
道を進む。今度は川にイルカがいる。白いイルカ。スナメリという種類だろうか。
飛び跳ねた勢いで出てきてしまったのか、道で子どものイルカがはねている。
一瞬、スマホで撮影してブログに上げてやろうか、と思うが頭の中で
(そんなことをすべきではない)という考えが起きる。
イルカをつかんで川に返す。手がヌルヌルになる。スマホのカバーが外れる。
祖母の家に近くまで来る。今度はニホンザルが飛び跳ねている。こちらも親子連れ。
彼ら?を刺激しないように歩く。どこに帰ろうとしていたのかわからなくなる。
そもそも祖母の家は存在するのか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。久しぶりに生々しい夢だ。冬なのに夏みたいな光。生き物がたくさん出てくる。とても生き生きとしている。
人間のほうはさほどでもない。子どもなのにどこか不健全な雰囲気を漂わせている。
また考える。家庭内の問題。さんざん書いている。読んでいるほうは「またか」といった感じかもしれない。
書ている側はというと匍匐前進で進んでいるイメージだ。一歩一歩手ごたえを確かめながら進んでいる。だから飽きない。
(家庭内の問題を扱うときには、すべて”キツめの話”のカテゴリーに入れることにした)
母の入信しているあの団体。何故、自分たちの信仰と他人に迷惑をかけること、迷惑をかけても認めないこと、が結びついてしまっているのだろう。
というか、相手に迷惑をかけたことを謝っても、あなたがたの信仰が損なわれることはない、とはっきりと言ってやる必要があるのかもしれない。
(ここでは信仰内容がどうか、というのはまた別の話だ。それにこれは団体全部というよりも目の前にいるだろう信者個人に向けた発言。はじめから害意があるのだったらもう論外だけど)
自分の信仰の価値が他人の言動に依存しているのだろうか。だけどそんな都合よく自分の思い通りになる他人はいない。
その依存が布教のモチベーションになっているのだとしたら、かなり不健全な動機だ。絶対にかなえられない願い。原理的に不可能。
あるいは、”こうなったらいいな”、が強引に”こうだ””こうならなければいけない”に置き換わってしまっているのか。となるとどうしても暴力的になる。
理屈よりも、そういう人間が目の前にいたときどうやって切り抜けるか・何を話すか、の話かもしれない。具体的な問題。お前ら落ち着けよ。というような。
そもそもの話。目の前にいる人間との生のやり取りの話。自分の身を守る話。いろいろと複雑だ。