korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

自然の中にいないと使わない言葉がある

今週のお題「運動不足」(その4)

 

 昨日の文章を書いて昔体育の授業で登山に行ったことを思い出した。大勢で北アルプスの山に登り夜は山小屋に泊まった。夜は満天の星空だった。圧倒的過ぎて怖くなり吐き気すら覚えた。普段学校と家の往復ばかりしている私には刺激が強すぎた。こういうのを”めくるめく”というのだろう。こんな言葉日常生活では使うことがない。”めくるめく”、とか”さんざめく”とか。

 

 めくるめくような恋なんて言うけれどたぶんそれはこういう元となる体験がないとわからないのではないかと思う。(そもそもそんな体験はしたことがないけど)

 そういう体験がないとただ振り回されてボロボロになるだけ? 昔の参照できる記憶があると突き放して見ることができるのか。(しかも表現がちょっと格好いいし)

 

 やっぱり言葉って体験とつながらないと生きてこない。体験がなくなると言葉ってなくなってしまう。昔の文学作品の言葉はさっぱりわからないけれどその時代を生きていた人にとっては言葉がちゃんと生きていたということだろうか。

 

 古典文学にまでさかのぼらなくても昭和の時代のトーク番組を観てみたら、かなり丁寧な言葉づかいで驚いたことがある。昭和の番組はもっとでたらめで滅茶苦茶だと思っていたのだがそんなことはなかった。戦前とつながっている、そんな気がした。

 

 そんな昔の言葉に自然と触れ合ったり本を読むことでふっとつながりを感じたりするのは面白いなと思った。平安時代くらいの昔ともつながれたらいいなと思う。