寒さが少し和らいだ。乾燥がきびしい。
乾燥が肌にこたえたことなんてこれまでなかったのに。歳か。
思ったこと(個人的な暗めの話です)
ブログを始めて三か月と少しになりました。
はじめは気軽にあれこれ書こうと思っていたのですが、気づいてみるとこれまでの人生の大反省会になっていました。書いたことだけでなく、それ以外の面でも様々な気づきがきました。
たくさんあったうちの気づきのうちのいくつかをあげると、
自分の人生は思った以上にひどいトラブルがあった
他人だってトラブルくらいある。自分だけなんで耐えられないのか。と思っていた時期もありました。(これって常々親が私に言っていたことでもありました)
でも私個人が辛ければそれは大変なことですし、詳しくは書けませんが常識からいってもかなりひどいレベルの経験をしていました。それに気づかなかった。
嘆きはちゃんとやらなければならない
自分が感じていることをしっかりととらえて整理しないといけない。辛いことは辛いと認識できないと潰れる。このひどかった、つらかった、をとらえて処理できないと時が止まったままになる。
身体にとっての仕事は、会社・学校ばかりではない
何を言っているんだ、当たり前ではないか。と思われるかもしれませんが、私にはこれがわかっていなかった。
学校などが大事でそれ以外は休憩なので辛いというのはおかしいと思っていました。その区別は社会システムの側の要請?で身体にとっては何の意味もありません。
一人の人間にできることには悲しいくらいの限界がある
なのでトラブルが起きたらいったんすべて放り投げるくらいはしないといけない。これはとても難しい。困難な環境であれば人一倍努力しなくてはいけない場合があるのも事実であるし。
でも自分のキャパシティを超える負荷はかけられない。なのでできなくても自分を責めない。自分くらいは自分の絶対的な味方でないといけない。これができてなかった。
心の奥底からの言葉は響く
一時期体調を崩していろいろな人にお世話になりました。そこでカウンセラーや病院の先生とたくさん話しました。そこで一番役に立ったのは具体的なアドバイスではなく短い心の奥底からの言葉でした。
「あなたは(抱え込んでいる)要素が多すぎる」とか
「早く逃げなさい」とか
「ひどすぎる、入院しなさい」とか
そういうものでした。
それ以外のことはほとんど覚えていませんが、それらの言葉をもらってずいぶん時間が経過して起きてきた気づきは、
「お前(私のこと)にはこのトラブルを解決することはできない。お前の能力を超えている」
でした。悲しい気づきです。でもそのおかげでずいぶん楽になりました。これは上記のような他人の心の叫び? みたいなもののおかげでわかりました。自分の代わりに他人が感じてくれた、とも言えます。
あまりまとまりがありませんが、これまでの人生の総括みたいな文章になってしまいました。
このようなものを書いて誰かの役に立つのかわかりませんが、書いてみました。