晴れ。
今日もきりりと寒い。
冴えるってこういうことか。
思ったこと(かなり重めの話です)
昨日の記事でゆっくりと食事をとる習慣が身につかなかったと書いた。なぜなんだろうと、少し考えた。(ブログは思い起こすことができるのがいい)
そうしたら昔のことをまた思い出した。子供のころうちは介護が必要な人がいた。母はそのことで余裕がまったくなかった。そこへさらに倒れた父方の祖父の介護をすることになった。母は抗議した。ほかにも親戚がいるのになぜうちに? 父は言った。「我慢しろ」 母は壊れた。
そういうことだった。あのころ、延々と母になじられたり訳のわからないことを言われたりしていた。特に食事時は逃げられない。
母の「ふざけるな、馬鹿野郎」という心の叫び。背後には父の無神経さがあった。
父は勤め先が忙しく帰ってくるのはいつも深夜だった。その父からしたら「こっちも大変なんだから、もめてくれるな」ということだろう。ひどい話だと思う。みんな余裕がない。いや父は甲斐性がない、か。
それまでも母は精神的に不安定だったが、このことでさらに悪化した。当時のことを思い出してのちに「母の中から別の人が出てきた」とカウンセラーに言ったことがある。
それまで普通にしていた母が突然知らない人に切り替わっている。まるで怪談だ。能みたいでもある。(夢幻能というのか。詳しいことは知らない)
それをリアルに体験した。
このことをはっきりと実感したのはホラーゲームの実況動画を観たときだ。
ゲームのタイトルは「零ー月蝕の仮面」かなり昔のゲームだ。動画を観ていてなんか変だ。これどこかで体験したことがある、と思った。でもこのゲームはやったことがない。というかホラーは苦手だ。
・・・母だ。と気づいた。ぞっとするよりシンパシーが起きた。母さん何やってんだよ、といった感じか。怪談は本当にあったんだ。そのままであるのではなく、心理的な世界?で。お話にするとこうなるということか。よくできている。
そして子供時代の自分の困難さ・しんどさと母の側の困難さ・しんどさなどの感情がごちゃ混ぜになってどっと出てきた。
人間は人格を無視されると鬼になる。あのとき「すまない」と父が言っていたらまだましだったのでは。
最近になってやっと自分は精神的に余裕が出てきた。そして母と昔の父関係の問題を話すことができるようになった。父さんは本当にや~ねえ・困ったわねえ、くらいのノリで。介護が必要な人はみな亡くなってしまった。
父は相変わらず、まわりの状況を考えず言いたい放題している。所属している趣味のサークルでもそんな感じらしい。嫌われるぞ。
とはいえ、当時父が大変な苦労をして得た収入のおかげで生活できていたというのも本当(の一部)ではある。そこで父とは”敬って距離を置く”、ということにした。
相手の気持ちに立つのも大事だが、それだけでは自分は成長しないしジリ貧になる。思いやり・忍耐ばかりやっていると壊れる。それも学んだ。自分を守ることは大事だ。