korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

絆はつらいよ

 晴れ。さらに寒い。

 

 慣れてきたのか寒さをあまり感じずに普通に動ける。そこが危険なのか。ちゃんと防寒をする。

 

 朝起きてすぐに布団を干し洗顔する。そして風呂掃除・洗濯・洗い物・朝食で1時間と少ししかかからなかった。すごいと思う。慣れてきた。(環境のせいなのかもしれないが食事をゆっくり楽しむという習慣はついに身につかなかった。立ち食い蕎麦が好き)

 

 

       思ったこと(やや暗い話です)

 「絆が大事」と最近声高に叫ばれているけれど、絆は悪いほうにも作用する。自分は親が入信していた宗教団体から抜けるのに大変苦労した。尋常でないレベルの絆の強さ故だった。精神に異常をきたすほどだ。いじめの集団や一部の体育会系の部活などもたぶんそうなのだろう。明らかに不利益を被っているのになぜ? とまわりは思うだろう。自分も当事者でなかったらそう思っていた。

 

 人間というのはまわりと同調する能力があるらしい。お母さんがあやすと赤ん坊が泣き止むのもそのおかげだそうだ。昔お世話になったセラピストの先生が言っていた。神経の状態をコピーするとでもいうのだろうか。無線でリンクしている感じ。

 

 それから類推してこの問題に当てはめると(素人の見解です。エビデンスなどない)これは理屈でないもっと深いレベルの話でもある。それは言葉にできないし強力に人を支配する。自分の努力でそこから抜け出すのはとても困難だ。シンクロしながら別のことをやるなんて難しい。自分の立っている地面をひっくり返すというのに等しいレベルの困難。

 

 だから理想としては毛色の違う?人が外側から引っ張り出してやることだと思う。そうやって物理的に距離を取る。もっとも引っ張り出してもらうには本人も手を伸ばして相手の手をつかまなければならない。相当な準備がいる。(”どこへ”出ていくのか、という問題がある。そこを解決しないと失敗するのか。今気づいた)

 

 そもそも外に出ようと思うのには今の自分の状況を疑うことができなくてはいけない。ものすごい困難。

 

 自分のような特殊な状況に長くいた人間であれば、外に出てしまえば”通常とは”異なる価値観によって育てられた異邦人として生きていかなければならないし、これまで味わったことのない生活していく上での”普通”の困難もついてくる。なんであんな場所にいたんだろうという”恥”の感覚もついてまわる。

 

 最近はその異邦人という状況をやや面白がって生きていけるようになってきた。

 

 

 外側から見てよくない環境にも同調するってどういうことなのだろうか。沈みゆく泥船だけど、これが俺の故郷なんだ、という感じなのかもしれない。沈んでいく戦艦大和に艦長たち数名が部屋に鍵をかけて残った、というエピソードもそういうことなのだろうか。日本人は同調する能力が高すぎるのか。

 

 

 

 そういえば、長い間自分はまわりの人を助けられなかった(自分はひとりで逃げ出した)という、かなり根の深い感覚に苛まれていたが、この間ふと、「俺はあの状況を生き延びたんだ、すごい」という素朴な感情がこみあげてきて驚いた。

 

 

 またとりとめのないことを考えた。結論はない。これはただの理屈だ。生きている人間はいない。

 

  今、絆の一番よくないところを思い出した。それは他人を巻き添えにすることだ。これは本当に迷惑。 わかったか! (誰に言っているんだ)