晴れ。また少し寒い。
夢を見た
大学時代の友人と祖母の家にいる。見たことのない家だ。帰る。バスに乗ろうとして財布を忘れたのに気づき戻る。今度は歩いて駅に向かう。
途中で大雨が降ってきたので慌ててスーパーでビニール傘を買う。スーパーは照明がついておらず客もいない。男性と女性の店員が一人ずついるだけだ。支払いをする。なぜか硬貨が昭和時代の古いものしかない。100円銀貨、オリンピック記念硬貨など。女性店員は記念硬貨を欲しがる。いくつかは記念硬貨で支払う。
外に出る。雨はやんでいる。友人と合流する。友人もどこかで傘を手に入れたらしい。ビニール傘はもういらない。友人にあげる。
大きな通りに出る。夏の雲が出ている。自分が知っている通りの姿ではない。道路の拡張工事が進んで片側3車線くらいの広い道路になっている。”薬師坂”と歩道橋に書いてある。知らない名前だ。横断歩道を走って渡る。
友人と別れる。友人の歩いて行くほうは駅と反対だと思うが、なぜかそれでいい気がする。(終わり)
思ったこと
また思い出す。大学時代の授業中のこと。自分は具合が悪く後ろのほうの席に座っていた。その時まわりにいた生徒はやる気がなくただワーワー騒ぐだけだった。
しつけがなっていないとか素行が悪いとかそういうことでは説明できそうもない。ただワーワーと騒いでいた。彼らは大事なものを取り上げられてしまったみたいに見えた。うまく説明できない。
当然教授の怒りを買い「出て行ってくれ」と言われていた。これは相当な事態だ。なのに彼らは出ていかなかった。出ていかず騒ぎ続けた。出席を取らない授業にも彼らは時々いて騒いだ。
私はというと興味も適性もない授業に休みもせずに出続けて真面目にノートをとっていた。今考えるとこれもかなり異常なことだ。動機が空っぽなのか。
どこにも居場所がなく必死だった、というのが当時の私だったのだろうと思う。”透明”になってなんとかしのいでいた。
我々の世代は第2次ベビーブームで生徒が一番多かった、と記憶している。受験戦争なんて言葉もあった。
小中高では一クラス50人弱生徒がいた。それらの生徒に対応するのに先生も四苦八苦していたのかもしれない。
当然一人の生徒にかけられる時間も減る。自分が知っている先生の姿というのはいつも疲れていた。
とにかく膨大な数の生徒を受験戦争のプレッシャーの中でなんとかトラブルを起こさずに送り出す。生徒の選択肢はそれほど多くない。
大学でも100人を超える生徒が教室で授業を受けていた。「3列目から後ろの生徒は帰れ」、と言った教授もいた。数の多さに明らかに当惑していた。
あっちもこっちもキャパシティをオーバーしていたように思う。そういう意味でも居場所がなかった。子供に対応する大人が足りない。
そういうものが残ったまま、少子化は困るからといって子供を増やしても大丈夫なのか、と無責任に思う。
今週のお題「鬼」
教室の後ろのほうで騒いでいた人たちや、その中で何の動機もなく真面目にノートをとっていた私はなんだか亡霊やゴーストみたいだと思う。鬼のように活気やバイタリティに溢れてはいない。ただ居場所がなくワーワー騒いだり、おとなしくノートをとったりしている。妖怪の一種かよ。
また無理やりお題を回収してしまった。