本日2投稿目。
「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)を読んでいる。
・・・さっぱりわからない。恥ずかしいけどそれがわかった。
入門書・解説書の類みたいに誰が咀嚼してくれないとわからない。というかわかった気にならない。介護が必要。
むしろなんで今までわからないことに気づかなかったんだ。向こうっ気が強かっただけかもしれない。わかろうがわからなかろうが、突っ込んでいく。つまりかなり重度のアホだったということだろうか。
後ろ向きの私はまた昔のことを思う。
成績が悪いとか、テストができないとか、入試で失敗するとか、それは個人の事情がどうこうという話ではなかった。
お前にはこれをやる・ここにいる資格がない、ただそれだけの話だった。それを何かと勘違いしていたんだ。
勘違いってなんだろう。居場所がない、価値がない、とかそういうことか? 確かに自分の若かったころは受験戦争で、学校からこぼれおちたら居場所はない(といわれていた)
それで必死で学校にかじりついていた。学校以前にうちにも居場所がなかったし。特に大学は成績がボロボロだったのにもかかわらず入学できて居続けることができた。
それには先生の側にも生徒がいて学費が入らないと生活できない、という事情もあったかもしれない。ご飯を食べるというのは何よりも大事なことだし。大学が多すぎるとかそういうのとはまた別の話。
話がそれた。上から目線で話してしまった。そういう”本来こうあるべき”、とかそういうのとは別のなにかのおかげで何とか居場所があった、ということだ。
・・・いや、こっちのほうが大事だろ。ご飯を食べること・居場所があること。大前提じゃん。その次くらいに勉強だろ。パンがなかったら生きられないし、安全な場所も必要だ。
これは子どもだろうと先生などの大人だろうと変わりがないことだった。絶対に必要で誰だって必死にそれを求める。
なにか勘違いしていたとはこういうことなのかな。勉強以前に大事なこと。まずはそこ、ということか。
そうか、大学は居場所を提供してくれてたのか。とにかく助かったよ。
考えをめぐらしていたらそんなことが出てきた。確実にものの見方が変わってきている。