晴れ。
身体がだるい。
嫌かというとそうでもなく、ただこういうものだと思う。
夢を見た
(その1)いとこがうちにいる。いとこの名前はこっちが思っていたのと微妙に違うことが判明する。
何十年もそのことに気づかなかったことに驚く。(終わり)
(その2)いつものように学校にいる。授業中。
先生は真面目そうな体育会系の男性。生徒の席の間を歩きながら歌を歌っている。歌は唱歌が多い。特に教科書はない。
私はノートをとる。マジックで書く。へたくそな字だと自分で思う。ノートをとる必要があるのかと疑問に思うが、先生のほうを見るとこれでいいらしい。よくわからない。
私は突然バリカンで自分の髪を切り始める。前の席の男性のものらしいティッシュの箱から数枚紙を取り、切った髪を包んで捨てる。
先生にばれる。「ほかの生徒のティシュを取っただろう?」と聞かれたので謝る。
先生にビンタされる。というか自分からビンタに当たりにいく。(終わり)
思ったこと
目が覚める。また変な夢だ。いとこなんて何十年も会っていない。
授業が自由すぎる。でも学級崩壊というのとは違う。一生懸命何かしている。生活に密着している何か。
確かに授業中にやることではないが、これも大事なことだ。これをダメなことと言われたらとても息苦しい。
学校でしてはいけないことが不必要に多すぎた。今はそんな気がする。
自分や身の回りを清潔にする・家事のしかた・お金の管理のしかた、なども真面目に教えるべきなのかもしれない。
なんだか親のいない家庭の話みたいだ。結構深刻な問題なのか?
夢の中で怒られていた。怒られることをやってはいけない。まあそうなんだけど、別にいいんじゃないかと今は思う。
先生はそれが仕事なんだし。もっと好き勝手やってもよかったのでは。むしろその中から学ぶことがあったんじゃないか。
もっともこれは今だから言えることだ。当時はそんな余裕はとてもじゃないがなかった。これ以上トラブルの要素が増えたら潰れてしまう。そんな状況だった。
自分に起きていたことを遠目から見れる。その余裕ができたということだ。時間が経過したことで生まれた余裕。思い出というのか。楽になれて助かる。
それが起きていた当時に環境の余裕があったらどうだったのだろうと思う。ないものねだり。不幸の元だ。
でも時間差で生まれる余裕よりもリアルタイムの余裕のほうがずっといい。そういう風に生きたい。
子どもだった当時、今風な言い方をするとこの人人生2周目なんじゃないか、と思えるほど落ち着いていて大人びている同級生がまわりにいた。
その同級生の親は「なんでこんないい子がうちに生まれてきたのだろう」と言っていた。それを聞いて奇妙なものを見た気持ちになった。
落ち着いているって本人の性質や努力だけの問題ではなかった。環境と個人はもっと密接に結びついていた。分けられるものでもなかった。
本人だけではなく、まわりにいる人間にも余裕がないと成立しない話。
そんなことを思った。結論もなくとりとめのない話。