ひさしぶりの雨。
昭和の日。
昭和って30年以上前の話だ。
頭の中でうまく時間がつながっていない。
昭和の日って前はなんて名前だったっけ。
こういう生活に直接かかわることをころころ変えられるのは困る。
夢を見た
雨の夜。通りにいる。なぜか通りのカウンターで授業を受けている。雨に濡れないように雨具のフードを被る。隣の席の奴は自転車で来たようで雨の中どうやって帰ろうかと話す。
予備校の教室のような部屋にいる。自分は4年生だ。大学か? これから1年間はずっと数学の授業だという。ゾッとするが、かえって質問しやすくていいやとも思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。外も雨のようだ。雨音がする。数学の夢を見るときには無理をしている。
帯状疱疹の跡が痛い。体力が落ちているようだ。
昨日書いたことを思い出す。まだよくわからない。昔今よりも具合が悪かった時、何かがわかったと思って喜ぶことは躁状態になって具合が悪くなる前触れだった。注意する。変わっても何も変わらない。
本を読んで
引き続き、「戦争とトラウマ」(中村江里著 吉川弘文館)を読む。これは第2次世界大戦の日本兵の問題を扱った本だ。海外の兵隊の話を書いた本は時々見かけるが日本兵のメンタルの問題を扱った本は自分ははじめて見た。
戦争で精神的なダメージを受けた人が回復できずにそのまま症状が固定したり悪化してしまう原因の一つには、まわりの環境があるようだ。
まず、精神病そのものが現在よりも”恥ずかしいこと”とされていて、本人も家族もまわりから隠そうとする。それでますます孤立する。
それと戦争に関するまわりの考え方の変化。戦争でひどい目にあったためや占領政策の影響で、”戦争はいけない”という風に世論が変わってしまった。戦争に行った兵隊に対する目が冷たくなった。それで帰る場所というか居場所がなくなった。
(戦争はいけない、というのは正しいと思うけれど、そこで止まってしまうのは考えが足りないような気もする)
外に出るのを嫌がったり引き取り手がいなかったりで病院から出ることができずに戦後もそのまま入院し続ける兵もいたという。(未復員というらしい)
こういう問題を扱った本はベトナム戦争が題材になったものが圧倒的に多いと思う。ベトナム戦争の戦場は本当にひどかったらしい。PTSDという考え方もベトナム戦争から出てきた。
子供が銃や手榴弾で攻撃してくる。それも恐ろしいことだがアメリカの若い兵隊が子供を撃たなければいけないという精神的な重圧。(相手はそれを見越して子供を訓練したという。いろんな意味で地獄だ)
そしてアメリカ国内での反戦運動の高まり。兵士はますます居場所がない。アメリカのホームレスは結構な割合でベトナム帰りがいるという。
(何かの本で読んだがアメリカの反戦運動はソ連が仕掛けたという。アメリカ人がソ連に行ったとき、「とても効果的だったでしょ」とソ連の人間に言われたという。事実なのかそういうジョークなのかはわからないが)
ほかに自分が気になった点がある。
人間を殺人ができるように訓練したのだから、戦争が終わったら市民に戻れるような訓練を意図的にする必要があるのではないかと思う。そのまま帰してしまって大丈夫なのか。殺人マシーンのままでは居場所はない。
人間に殺人を容易にさせるためには対象から精神的・物理的な距離をとらせることだという。(詳しくはデーヴ・グロスマンさんの本を読んでください)
我々は崇高な目的のために戦っているとか、相手は人間ではない悪魔だ、とか。(母の入信している教団もこんなことを言っていたな。だから暴力がふるえたのか。恐ろしいことだ。家庭内暴力・DVの原因にもなるのか)
ボタンを押すだけで相手が死んで相手の顔を見る必要がないとか。
そういう訓練をしたのだったらちゃんと元に戻さないと危険なのでは。(一部の自己啓発セミナーとかもこんな感じらしいけれども大丈夫なのかな)
それと私的制裁や鉄拳制裁。なんで身内や味方を攻撃するの。という素朴な疑問がある。
いろいろ言ったけれどもこれは理屈だ。本当はどうなんだろう。知りたいかと言われたらそれは疑問だ。だいたい知るような経験をして正気でいられる自信がない。やっぱり平和がいいや。素朴な思い。