曇ったり雨が降ったり。
風が強い。
花粉が飛ばなくなって、やったこれで洗濯物を外に干せる、
と思ったらもう梅雨がそこまで来ている。
季節が駆け足で過ぎていく。という言い方があるけれど速すぎる。
まるでスプリンターかレーサーだ。新記録でも狙っているのか。
客乗せてレースするのやめてほしい。
ほしい、と言っても聞いてはくれないけど。
思ったこと
ここまで書いたことのまとめ(まったく個人的な話):
言い方は悪いが、他人の書いたものは嘘だ。嘘というか妄想、絵に描いた餅だ。
妄想なのに役に立って不思議だなあ、くらいの心構えでちょうどよかった。
それを書いてある通りに”なれる”と思って努力するから病むことになった。
暴力などで母や教団に叩き込まれたことが身体の奥にまで染みついていた。はじめから無茶なことをやっていた。(思った以上に暴力だったのだなあ)
もちろんそういった不条理や無茶な理想を設定してそれに近づこうと努力する、というやりかたもある。だけどそういうのは”マニア”のやることで子育てとしてやることではない。自分の意志で入って訓練をちゃんと受けてやる。しかも長い伝統に裏付けられたルールがあり無理をしていないかまわりから見守られている。
(戦争に関する本で、傭兵や民間軍事会社はめちゃくちゃするし、まったくケアもされていない。それにくらべたら正規の軍隊は訓練されていて法も秩序も守る、というような内容が書かれていて皮肉だなあ、と思うのと同時に猛烈に嫌な気分になったのを何故か思い出した。お前らの”法”?にこっちも従わなきゃいけないのかよ?)
自身の身体というのはものすごくユニークにできていてそれに逆らって物事を進めることはできない。むしろこれこそが本物の”読むべきテキスト”だった。(だから身体の弱い人間は切ない)
本の中の正解は生きることができない。ろくでもないものを含めた自分と言うものをヒーヒー言ったりグヘヘと言ったりしながら生きるしかない。自分の身体とその欲求をちゃんとケアしながら生きる。逆らうのはNG。様子を見ながら工夫することしかできない。
この歳になってこんなこと言ってるのかよ、と呆れるが、彼らの言ったことがあまりに正しすぎて疑うことができなかった。だけど、正しいと病むし人が死ぬ。不幸にもなる。それにやっと気づいた。
他人の理屈を調べて理解するのも大事だが、それだけだと苦労して時間かかってやっとわかっても、自身は空っぽのままだ。
そこに気づいて絶望して自死するということもありえる。残ったのは空っぽのヨボヨボのおじいさんだけだった。ということもありえる。それに気づいてぞっとした。
長々としているその話、お前はどこにいるんだよ、(どこにも出てこないじゃないか。他人の尻ぬぐいをしているだけだ)ということだ。環境的にも選択肢はあまりないし調べる必要もある。だけれども注意する。