からっとしている。
移動性高気圧におおわれている、と天気予報。
秋の高気圧だ。
洗濯日和。大量に洗濯して布団も干す。
夢を見た
(その1)母と自動車に乗っている。亡くなったはずの姉も一緒か。
高速道路に乗る。料金所で支払いをする。私が払う。
小銭だらけで手間取る。母は先に行ってしまう。
係の人に足りない、と言われたので、よく見せて足りていることを示す。10円玉だらけなのがよくなかったか。
料金所にはなぜか自転車や徒歩の人間もいる。彼らと一緒に移動する。
上った先で母が車を止めて待っていた。
遅い、と言われる。待っている間にスーパーで豆腐を買ったらしい。(終わり)
(その2)自宅にいる。バイクの整備をしている。そこに昔の知り合いがバイクでくる。バイクは前のタイヤだけやたら大きい。
一緒に出掛ける。川沿いを走る。知り合いはいつの間にかいなくなる。
車種がバイクから自転車に変わっている。
川沿いはここのところの大雨のせいか土手の部分まで水に浸かっている。
危険なので強引に土手の外側に避難する。ほかにも父子連れが一緒だ。
上がった先は他人の家の敷地内だった。中に入らないように塀の上を歩く。
道の手前で塀から降りる。降りた先には犬がいて吠えられる。犬はなぜか前足が1本なかった。
後ろからついてきた父子も吠えられている。子どもが泣く。
道に出て走り出す。あとからさっきの父子が追い付く。
父親に「犬に吠えられたこと、謝ってくれませんか」と言われる。
私のせいではない、と思うが、子どもを落ち着かせる必要を感じたので、「ごめんな」と子どもに言う。
父子は去っていく。去り際に子どもの背中をポンと叩いた。(終わり)
思ったこと
目が覚める。昔の知り合いが出てきた。夢に出てくるということは、過去の人間になってしまった、ということだろうか。
いくつかのことを考える。
まず、いつもの例の事件。あの団体の彼らは一見常識的なことを言っているようにみえて、なるほど、と思ってしまいそうになる。
でも、よく考えてみると、やっていることがそもそも常識からかけ離れている。常識からかけ離れたことをやってる人間のことは、常識では説明できない・説明してはいけない。
権利や常識にははっきりと前提がある。決まりや理屈なんて人間が考えたことなんだから、絶対ではない。ちゃんと考えてメンテナンスしないと大変なことになる。
例の事件もそうだけれども、ニュースを見ていると本当に暗い気持ちになる。
ニュースを見ると、世の中は問題がある人間だらけにみえてしまうが、本当は問題を起こす人間のほうがはるかに少ないのだろう。そうでなかったらとっくに社会が崩壊している。
まわりにも(大抵は)そんなやつはいない。ディスプレイよりも自分のまわりを見ろ、ということか。
情報は猛毒のようだ。他人の幸せを見てさえも暗い気持ちになりがち。それは比べてしまうからか。最近は情報が大量にありすぎて大変だ。
情報を入れすぎると確実に鬱になる。
だが例の事件のおかげで自分の問題が客観的に見ることができている。それも確かだ。
情報は必要なだけ入れる。あくまで他人事として。
そしてディスプレイから目を離して自分のまわりも見る。
そしてこっそりと本当のこと(妄想)を言う。日本人は本当は勤勉ではなくマイペースでダラダラしたい。それに競争は大嫌い。だけど他人(他国)がそうしているし、そのシステムに巻き込まれているから、しかたなくやっている。
だからダラダラ残業する。やっている感を出す。そうやって何とかしのいでいる。
他人に無茶振りして、努力を強制しても、どこか他人事なのはそのせいではないか。本当はおかしい、誰もこんなことしたくない、とわかっている。
主に体育会系で体罰がなくならないのも、ものすごく不条理で身に合わないことをやらなければいけない、その不条理な環境に耐えるために、あえて更なる不条理なことをやる必要がある。とどこかでわかっているからではないか。
戦争か何かかよ。
そんなことを思った。
・・・お前さあ、自分がダラダラしたいだけなのに主語がでかすぎだろ。でもそうしないと持たない。それは確かだ。
短期決戦ならまだいい。長期戦でそれをやったら確実に負け戦だ。
そして人生は長期戦だ。