曇り。また寒い。
こういうのを冴え返るというのだろうか。
もっと前の季節の季語か?
夢を見た
(その1)大学時代の同級生と電車に乗っている。帰宅している途中のようだ。途中の駅で別れる。
駅のホームに老舗そば屋の系列店がある。腹が減ったので店に入る。店は狭くカウンター席のみだ。ざるそばにお銚子一本つける。帰りだしいいだろう。
主が3700円だといったので驚く。ざるそば一枚にお銚子一本で? いくら老舗といっても駅構内でそんな値段?
まわりはみな常連らしくまったく驚いていない。
どうします? と主。・・・まあいいか。腹減っているし、たまには贅沢しても。
さっき別れた同級生が店に入ってくる。おいおいこんな店で食べてて、といった表情を浮かべている。有名な店らしい。
彼も注文する。ついでに路線図で帰り方を教えてくれる。どの帰り方でも長時間電車に乗らなければいけない。うんざりする。(終わり)
(その2)夜。地元の駅にいる。自宅へのバスはどれだろう。しばらくなさそうなので、同方向に行くバスに乗って途中から歩くことにする。
バスには学生がたくさん乗っていた。よく揺れる。
バスは商店街の狭い道を走る。まったく知らないエリアだ。壁に接触しそうで心配になったのか女子の学生が運転手に話しかける。
これからはあなたも気を付けるんだよ、と運転手が返す。運転手は30代の年齢の女性であった。
右に曲がり突き当りの狭いロータリーのような場所に出る。(終わり)
思ったこと(暗い話)
目が覚める。この手の夢はこれまでたくさん見たが目的地にたどり着いたためしがない。ずっと旅の途中か。
朝になる。洗濯物を干す。母が入信している団体の知り合いの信者が手紙を寄こしてきてあんたのことを書いていたわよ、と言ってくる。
私は困ってしまう。あの団体は訳が分からない。暴力や脅しをしてきて(自分の都合を押し込んでくるだけでも相当な暴力だ)そんなことはケロッと忘れて親切面してくる。それに私はあの団体には所属していない。
2重3重の暴力だ。あそこまで変だとなんて言っていいのかわからない。そのことは何十年に渡って言っているのだがまったくわからないらしい。
私は親切を受け取れない愚かな人間、ということらしい。自分の都合をそのまま相手に押し付けてくる。相手の都合はお構いなしだ。だけどそれを言うと怒り狂う。
なんて暗いことを書いているのだろう。自分が正しいと言い張らなければいけない醜さ。力関係が露骨でよけい惨めな気分になる。
人間の認識能力には重大な欠陥がある、というのが仏教の立場らしい。欠陥があるなんておだやか?なものではなく人間は滅茶苦茶だ、というほうが正しいのでは。
迫害にたえて戦いを勝ち抜いてメジャーになった、世界史にはそういったものがたくさんあるが、それは「正しい」、というのではなくて今メジャーなものが一時的にそういう説明をなされているに過ぎない。そういうことなのではないか。
メジャーになったものも十分すぎるほど滅茶苦茶、というか欠陥だらけだと、いうのがよりましな説明のようだ。
話が脱線してしまった。自分の欠陥に気づかないと親切でしたことで人が死んでしまうこともありうる。そういうものをたくさん見せられた。自分が絶対に正しい、というのをやめて相手の都合をおもんばかる。それをするだけでだいぶん被害が減ると思う。
他人に無理やりいうことを聞かせようとして、しかも自分たちもそれで被害を受けている。それで自分がやっていることは正しい、と言い張る。もう訳が分からない。
自分は本当に嫌な奴だなあ。そもそも説明する必要があるのか?
こんなトラブルに巻き込まれていなければ素直な自分の好みに沿って(正しさではなく)暮らしていたのでは、とも思う。何かとても変な前提に巻き込まれているのではないか。
こういうことを考える必要も自分が正しいと声高に言う必要もない、それがまともな生き方なのかもしれない。
「正しい」と言ってしまうと自分の欠陥が見えなくなるし認められなくなる。それはとてもキツイ生き方だ。自分もまわりもきつくなる。そういうことのようだ。もうこんなことはやめたい。