曇り。
もう暴力的な暑さはない。
またどこかでぶりかえすのだろう。
夢を見た
自宅にいる。いつもの夢の通り、今日は卒業式。
だがとても具合が悪い。卒業式には出ないことにする。母にそう言う。
外出する。気づくと学校にいる。結局こうなるのか。
卒業式のはずなのに来年度のカリキュラムの説明がある。
数学の内容が高度になって、しかも予定が詰まっているので、半年ほどで終えることになるとのこと。
大変だなあ、と他人事のように思う。
隣の席の真面目そうな女子と話す。縁の太いフレームのメガネをかけた、いかにも真面目そうな女子。
卒業式なのにはじめましてだ。彼女はどの進路に進むのだろうか。
自分はこの学校で何をしていたのか全く記憶にない。
とにかく荷物を整理して持って帰る。荷物は多すぎて入りきらない。
ただでさえ具合が悪いのに大変。
面倒くさいな、卒業証書だけ持ってきてくれればそれでいいのに、と思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。また学校の夢。
これだけたくさん同じような夢を見ると、さすがに、でも卒業できないんでしょ、とどこかで思っている。
相反する感情やメタの考えが夢の中でも自覚できるようになる。
最近のブログで書いたことと、少しつながってくるけど、同じことを何度も繰り返して続けると意味や手触り、勘どころがわかるようになる。
これは決してリアルな学校の問題ではなくて、自分が抱えているものが象徴的に表れている。
勉強や受験の問題というよりも、自分が抱えている問題にどう折り合いをつけるか、みたいな話だ。
夢の内容は抽象的で直接的なので理屈や言葉にしづらい。言葉にしてしまうと力を失ってしまうのでは、という気すらする。
解釈ではなく納得の問題なのかもしれない。理屈でなく心と心が直接通じ合うというような。
そもそも夢を記録するようになったのは、ユング派のセラピストにかかったのがきっかけだった。
こんなよくわからないものでも、続けていると力が生まれてくる。本当に不思議だ。
こんな世界があるとは思わなかった。継続の不思議、というか脳と世界のつながりの不思議。
でも実際に生きているうえでは、脳なのか心なのか区別つかない。身体丸ごとで世界とつながっている。
でもとにかく不思議だ。それに出会っている。