曇り。
今日は寒い。
冬の日。
うまく眠れない。気が立っている。ずっと照明をつけっぱなしだ。
少しずつ眠る。たくさんの夢を見る。内容は思い出せない。
また考える。まわりにいる人たちのこと。
理屈や言葉だらけだ。理屈があるから考えているのかというと、そんなわけでもない。どちらかというと気分で動いている。
ただ、手元にある大量の理屈や言葉を振り回してけんかしている。目先の自分の損得勝ち負けに使っている。
まるで子どもに鉄砲を持たせているようだ。気分でぶっぱなす。
本当は鉄砲の使い方や、どういうときに撃っていいのか・いけないのかなどの厳格なルールがあることを教えなければいけないのでは。
訓練が必要。それがないから気分でぶっぱなす。その必要や資格がなくてもやる。
とんでもない軽さだ。訓練はないけれども弾や情報は大量にある。それでこうなる、ということか。理屈だらけの無法地帯。コントロールはされていない。
また思う。学生時代のこと。受験勉強というけれど、あれは学びというよりも、”受験術”という独特の技術を取得していたのだな。
あれ自体は学問や学びとは直接つながっていない。入り口ではあるかもしれないけれど。
ノウハウはそのものではない。
何でこんなこと考えているのだろう。
母親や母親の宗教の問題について考えているときに、ふいに”無条件の愛”なんて言葉が浮かんできた。
書いていて気持ち悪いこと言ってるなと思う。でもどういうことなんだろう。
宗教や学校みたいに間に何かが挟まらないで、直接つながりたい。そういうことか。権威を独占したい人間にとってはあってはならないことかもしれないけれど。
太陽の光をあびる、とかそういうことか? 何かに邪魔されずに直接感じる。
間に入ってあーだこーだ言われるのは邪魔でしかない。邪魔というか冒涜か。
冒涜というかつまらない。喜びが何もない。そういうことだと思う。
昔、少しだけ気功を習っていたのもこのことと関係あるかもしれない。感覚の世界で直接世界とつながること。
でも、無条件の愛とか人間には無理筋だよな。どうしても孤立する。人間関係うまくいかないか。もしかして私はとても業が深いのか。
”普通の”人はこんなもの求めない?
知りたいから知りたいんだよ。欲しいから欲しいんだ。おめーの理屈なんて知るか、という態度。 少し悲しい。傲慢ですらある。
自分の納得だけ求めるから、他人のくれる情報(というか正解)なんて嘘でしかない? まあ、私のまわりにいる人間のくれる情報はかなりひどいと思うが。
そういう自分の性質(性分)もあるのかな。それで怒っている。嘘つくんじゃねーよ、まがいものをよこすな、と。
これ、頭のいい悪い関係ないような。諦めが悪いというか。
普通の人は親や団体などひどいことをする人から逃れて、普通に生活できるようになるだけでいいのだろうか。
問題なければ問題ない。生活は大事。いや自分にとっても大事だけれど。
またフワフワしたことを言っている。もうやめる。
私はちょっと困った人だな、それがわかった。でもそこを否定したらまた病むだろうな。まいった。なんともならん。