晴れ。洗濯物を大量に干す。せいせいした。
思い出す
昔の私は人を馬鹿にした姿勢をとることが多かったです。
なぜだろうと考えてみました。自分の学生時代は受験戦争時代で勉強しか頭になかった。勉強というのも偏っていて受験のためだけの勉強だった。そのことと関係があるようです。
そのころはそれがすべてで勉強以外のことで生きている人がたくさんいるということに思いが至らなかった。
しかし、あるときから学力が急激に下がりだします。理由はいろいろですが、それがすべてだった私にとっては世界から放り出された気分になり、おびえました。
その気持ちをごまかすためにおれは大丈夫だ、できるんだ、と自らに言い聞かせていたようです。それが無意識に他人を見下す原因にもなっていた。
そのほかにも偏差値やそういった他人の下す評価にぶら下がって生きると地獄が待っている、ということでもありました。参考にするのはいいけど依存はだめです。依存は恐ろしいです。人としての姿勢というか重心が崩れます。その結果として何もかも訳が分からなくなります。
そんなこんなでボロボロになった自分を何とかすることに人生の大半を費やしました。前世で何かやらかしたのかな、なんて冗談で思います。
結局なにがいけなかったのかというと生きる姿勢、動機みたいなものが良くなかったというしかないようです。結果論ですが。それに気づくのに時間がかかりました。
これを自分は”心のどぶさらい”と言っています。まだまだですが、少なくとも生き物が住めるくらいにはなったと思います。そう願います。
当時の私は「俺は他の人とは違うんだ」、なんて思っていましたが当たり前です、他人なんだから。
「みんな違って、みんないい」という言葉がありますが、違うのはただ違うだけです。そこに価値判断を持ち込むと厄介なことになります。金子みすゞさんの「いい」は価値判断・肯定否定のいい悪いではないですよね。無条件で降り注ぐお日様の光みたいなものです。(たぶん。でも人間があの視点で生きるのは大変きついことだと思います)
まとめ
自分はこれからも心のどぶさらいを続けていき、ある程度きれいになったところで亡くなるんだな、と思います。今週のお題に無理やりくっつけて言うと「軽蔑や依存はイモね」(皿田きのこ風)ということだったのでしょうか。(どぶさらいでなく芋ほりだった?)