雨。
かなり激しい。
雨のほうが落ち着く性分だが、最近の天候は過激すぎて不安になる。
サービス過多。
夢を見た
昼間。自宅にいる。学校に行かなければならないようだ。
だけれども、もうとっくに卒業しているのに気づいているし
テストを受ける必要もないのもわかっている。
あそこに行っても仕方がないが何故か学校に用があると思う。
別の学校だろうか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。別の学校ってなんだよ。何かをまとめないといけない。そんな気がする。
またやや閲覧注意かもしれない。
母がまた教団のお偉いさんに何か言われたようだ。やたらテンションが高く、イライラしている。
どう見ても無理をしているし、したくないことをさせられているように見える。
「こうすべき」にとらわれているように見える。立派なことを言っているようで身体全体から「無理」のサインが出ている。そうか、こういう現象に子どもの時から向き合ってきたのか。これは消耗する。
どうも、父のことをお偉いさんに相談して、アドバイスをもらったようだ。最近さんざん電話していたのはこのことか。
それで明るく振舞い、父の言うことを聞いている。そして、立派そうでポジティブに振る舞うことを父に要求している。
これでは母がつぶれてしまうし、父もコントロールされておかしくなってしまう。事実、父はこそこそと母を避けるようになった。
「むしろ、ある程度距離をとって言いたいことを言ったほうがよくない?」と私は母に言う。
そう言いながら
(遠くからコントロールしようとしてんじゃねーよ。他人はお前のポイント稼ぎのための実験動物じゃねーぞ)
とあちら側に向かって心の中で毒づく。
思う。もうすでにうちの中は滅茶苦茶だ。それでももがく。なんだか弔い合戦をしているような気がする。済んでしまったことにけりをつける。
弔い合戦なんて、無駄なことをするよなあ、などと三國志などの歴史ものを読みながら思っていたが、なんだかその気持ちがわかった気がする。
大事な人間が殺されてしまった時点でもうその人間は死んだんだ。ぽっかりと巨大な空白ができる。それでも生きなければいけないから、その巨大な空白を何とか埋めるように動く。あるいはその空白に沿ってしか動けない。その空白を生きる。
(弔い合戦をしない人間は他人と濃い関係を結んだり、人に依存していないのだろう。そういう冷徹さを持っているのではないか)
そんなこと忘れて新しい人生を生きればいいじゃん、なんて昔は思ったが、無理やりそんなことをすれば大出血をしてしまう。それに心の根無し草になってかえって危険だ。心の空白が増える。これまでのすべてのことが分からなくなってしまう。
空っぽな人間の誕生。それはとても危険だ。まわりでそういう人間をたくさん見た気がする。
だからごまかさずに自分の経験を何とか受け止めるしかない、と最近は思うようになった。
なるほど、弔い合戦以外に出家するというのも歴史ものでよくみられるが、それはそうなってしまった場合の一つの有効な選択肢なのだな。出家して悟りを開くため、というよりは自分の経験を抱えながら生きるための選択。
他人に不愉快な重荷を背負わせないように注意しながら書く、と前のブログで書いたがそんな器用なことは、とてもできそうもない。それに無理やりいい話にしてしまったら自分の経験が「嘘」になってしまう。
そんなことを思った。煮え煮えにならないように注意。