晴れ。
朝からエアコンの掃除でバタバタ。
歳を取ると機械に振り回されるって本当だった。
若いころは?といった感じだった。
センサーとかお知らせとか多すぎ。
思ったこと
昔から「あきらめなければ夢はかなう」とか「本人の心の持ちかたでどうにでもなる」とかそういった言い方に違和感があった。
なんでだろうと思う。ただのひねくれものということもあるがそれ以外にも何かあると思う。
後ろ向きに生きる自分はまた思い出す。「他人は変えられないが自分は変えられる」という言い方がある。昔の自分はそれを誤解して(というか真に受けて)自分自身の心を変えようとした。その結果精神科やカウンセラーのお世話になることになった。
いろいろな人にお世話になってある程度回復してきた今わかったことは、
他人だけでなく自分も変えられない
ということだった。人間の好みとか身体の癖とかそういった基本的なことは変えることができない。そこに手を突っ込むと人間は壊れる。ということだった。できるといったって息を止めたり食事をしなければ死んでしまう。そういった基本的な道理からは逃れられない。上記の癖や好みもそのレベルの大事なことだった。自分がどんな好みを持って生まれてくるかはまったくコントロールできない。
自分がそのことに気づくきっかけになったのはある本(A.スマナサーラさんだったか)の中の文章を読んだことです。詳しい内容は忘れてしまいましたが、だいたい「人間というのは自分が絶対に正しい、全知全能だと思っているということを心のどこかで自覚しておく、だけどそこをいじろうとは思わないこと、いじると精神を病んでしまう」というようなことでした。
人間は自由だといっても道理から自由になるわけではない。あきらめなくても歳は取って身体も頭も動かなくなるし、いつか死んでしまう。自分から離れたところに完全な正解があるわけでもないし、永遠に生きることができるわけでもない。スタート地点がおかしい。自分はそこにうさん臭さを感じたのか。
だいたい自由って露骨に体力や人脈や経済状況に左右される。そこは自由ではない。弱肉強食の世界に近い。
”自由とは認識された必然である”って言葉もあったな。
「あきらめなければ夢はかなう」って若者らしい(というかアメリカらしい)言葉だな。だけどその次の言葉というか考え方がないとしんどいことになる。それが成熟するってことか。
自分はラッキーなことに具合が悪くなった状況からある程度戻ってこれた。これだって自分の努力のおかげなのかどうか怪しい。自分は健康になれる正解なんか知らなかったわけだし、努力のしようがない。バタバタしているうちにこうなった。といっても100%他者のおかげでもない。自力・他力というか”縁”といったほうが正確な描写になると思う。
この世界に対する認識というか言葉の使い方が雑すぎる。いつまでもそのレベルではしんどいことになる。そういうことでした。
メニューの中から選ぶことはできてもメニュー自体を改変することはやめたほうがいい、ということなのだろうか。
今週のお題「自分にご褒美」
くどくどダラダラ書いて昔の自分だったら「ジジイかよ」と言っていたかもしれない。(昔の自分は殺伐としていて余裕がなかった)
でもしっかりと考えることができ、それを言葉で表現できるようになったのは成熟した証だと今は思う。
それが歳を取ることで得られたご褒美だ。
今回もお題を回収できました。(お題ってそういうものだっけ?)