晴れ。
天気予報は曇りだったはずだが。
東海地方まで梅雨入り。梅雨前線の動きが速すぎる。
あっという間に間合いを詰められた。
関東地方もすぐに梅雨入りしそう。
梅雨明けの時期はどうなるのだろうか。
思ったこと
今日は通院日だ。バスに乗るために歩く。バス停に着く直前にバスに追い越された。バス停で時刻表を見る。遅れていたバスが来たのか。ということは次も遅れるな。バス停一つ分歩くことにする。・・・なんで今度は定刻通り来るんだよ。また1台乗り過ごした。
私は観光地の近くに住んでいてバスは駅に着く前に観光地の中心を通る。驚いた。人が全くいない。こんなことは初めてだ。土産物屋まで閉まっている。
前回の外出自粛の時にはもっと人出があって土産物屋も開いていたはず。要請に従っている、というよりかもう諦めた、というような感じがして怖い。実際にどうなっているのかはわからないけれど普段にぎやかだった場所がシャッター街になっているのは不安だ。
地元の市では高齢者向けのワクチン接種がはじまった。はじまるまではゴタゴタがいろいろあったが一度はじまってからの動きは早い気がする。あとはもうワクチン接種が行き渡るのを待つだけだ。
病院のある駅に着く。駅前には大学生がたくさんいる。自身の学生時代を思い出す。せめてやりたいことが定まってから大学に行きたかった。なんであんなに病的に焦っていたのだろう。乗ったら降りられないベルトコンベアみたいだ。もしかしたら大学って「大人」が行くところなのかもな。今気づいた。
喫茶店に入る。衝立だらけ。暑くなるとアイスコーヒーがうまい。飲んでさっさと出る。私は喫茶店でゆっくりする習慣はない。むしろ歩くことで休める。移動が好き。移動しながら休むし気分転換もするし考え事もする。
主治医と話す。いろいろ込み入ったことを話すが特に解決策があるというわけでもない。
考える
電車に乗ると考え事をする。(個人の妄想です。妄想が趣味なのかもしれない)
最近は訳のわからない事件が多い。説明を聞いても「はあ?(思ったからって普通はしないだろ)」となることが多い。
考えた。人間というのは親兄弟や近所の人や親戚やおじいちゃんおばあちゃんに延々と話しかけられて、初めて何とか人間のかたちになるのではないだろうか。
それがスタート地点。延々と話しかけられることでその人の考え方までインストールされるのかもしれない。一人の人の一貫した筋道の通った考え方。
それが今は核家族だし共働きだしあまり同じ人と延々と話すということはない。その分テレビやスマホなどと付き合う機会が多い。機械に子育てしてもらっているという言い方をする人もいる。いい悪いではなくそういう時代になった。その中にあるのは立派に見えても一貫性のないバラバラの情報。それをどういう風に運用?すればいいのかは教えてもらえない。
もしかしたら機械に育てられた人特有の理屈や考え方ってものができているのかもしれないな。それが私みたいな古い人間にはわからない。その場の瞬発力みたいなものか? でもそれって無責任で無秩序な発言にみえるんだけど。それがメジャーになるんですかね。
おばあちゃん子なんて言い方があるけれど、それと同じようにネットっ子とかスマホっ子、なんていう特徴があるのかもしれない。
なんてことを考えた。
さらに考える
なんでこんなことを考えたのだろう。最近発売されたホラーゲームの実況動画を観ていて考えたことがきっかけか。
動画の中では赤ん坊(だった何か)?のモンスターに主人公が追われていた。ものすごく怖い。
でもなんでこんなに怖いんだろう。私は子供が苦手だ。それに関係がありそうだ。
まわりにはたくさんの大人がいる。無意識のうちにこれこそが”普通の”人間だと思っている。
それで、赤ん坊を見る。・・・なんだこれは? となる。どうやって接したらいいのかわからない。私みたいな大家族でなく人付き合いもしない人間は子供と接する機会もなく特に困ってしまう。まるで異界のなにかだ。未知との遭遇だ。でも確実に自分と関係がある。自分も昔は赤ん坊だった。そういう遠い記憶と結びつくような怖さ?
でもその赤ん坊が育って大人になるんだよな。すごいな。
そういったことを考えているうちにさっきの話になった。
子供が苦手なうちはまだ精神的には子供ということだろうか。結論はない。