雨。
今回の台風は風はないらしい。
このまま台風のシーズンが終わってくれないだろうか。
夢を見た
丘陵地帯の上にいる。何かの施設か。大学のようでもある。
誰かの車に乗って数人で丘を下る。
坂の途中で派手に壊れた車に遭遇する。
車の持ち主は昔の知り合いだった。車の種類はポルシェだと一緒にいた人間が言う。
車はドアがめくれて、トランクの部分が完全になくなっている。
ポルシェの持ち主を乗せていったん丘の上に戻る。上に着き皆降りる。
さて、どうする? もう一度丘を下るか。皆と話し合う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。身体中が痛い。夏の疲れだろうか。
これを書いていて気づく。夢の中でポルシェの後ろの部分がなくなっていたが、ポルシェの後部にあるのはトランクではなくてエンジンなのでは。
トランクでなくてエンジンがなくなったのか。ダメじゃん。
また考える。うちの中の問題。
今はうちの中の嵐は収まって比較的穏やかな状態だ。
もう暴力が表だって出てくることはない。
でも、よくよく考えると、それは解決ではなく、ただ徹底的に無視されている状態だ、というのがわかった。
あの団体の問題は決してしゃべれない。信者でない父も同調している。
それに時々は団体の行動は当然である、というふうにとれる言動をしてくる。
なぜなのだろう。彼らもそれをやることで、滅茶苦茶になって被害を受けているのに。
害を受けてもやめられない。中毒の問題にそっくりだ。
どういうことだろう。最近のブログで、人間は自分がコントロールできているという実感や、何かとつながっていることや仲間がいる、という感覚が必要と書いた。
それと関係があるのでは。
絆の感覚。それはとても強力で人間には必要なもの。
だから人はそれを求めるし、強力すぎて逆らうことも疑うことも難しい。害を受けても求めてしまう。そういうことなのでは。
でも実際に必要なのは、絆の”感覚”ではなくて、人間の仲間だ。まともな人間の仲間。観念やケミカルなどの実態のない何かではない。
必要なのはまともな人間とのつながり。
実態のないものだと、きりがない。果てがない。だからズブズブはまっていく。そういうことでは。
人間に必要だが、時には身を滅ぼすほど有害。それが絆やつながり。
例えて言えば、アルコール依存症の人間から酒瓶を取り上げようとしたら、抵抗されて大暴れされた、くらいのことが起きる。母の団体でもそんな感じの揉め事が時々起こっていた。
なるほど。だからハームリダクションなんて考え方が出てくるのか。
薬物などの依存対象から無理矢理離すのではなくて、まずちゃんと食事をする、ちゃんと眠る、シャワーを浴びる、などの生活の質を上げるところからはじめる。
それ自体をなくすことは難しい。何とかして共存もしくは改編する。そういうことだろうか。
そんなことを考えた。また脱線してしまった。