曇り。小雨混じり。
西日本も梅雨入りした。
本格的な梅雨のシーズン。
夢を見た
(その1)海沿いの道路を車で走っている。
坂を下る。セカンドにギアを落とす。ちょうどいい具合にスピードを落とせて楽だ。
坂を下りきるとやや大きめの道路に突き当たる。右に曲がる。
しばらく進む。突然道が混雑してくる。道の先で子どもたちがパレードしている。付き添いの大人も一緒。
子どもたちをよけながら進む。
こんなところでパレードするなよ、とか、学校はこんなどうでもいい行事を組むな、とか、個々の家族で子どもたちをどこかに連れていってストレス発散させたほうがいいのでは、などと思う。(終わり)
(その2)ゲームの夢。2DのRPGか。パーティを組んで進んでいく。
建物に入る。画面が切り替わるとなぜかパーティの後ろの人間とぶつかってしまい先に進めない。
どうすればいいのか。後ろの人間も自分にすればいいんだ、と思うが、すぐにどうやって? と頭を抱える。(終わり)
思ったこと
目が覚める。車を運転する夢なんて珍しい。
現実世界ではペーパードライバーだ。何十年も乗っていない。
今の車の変速ギアはどうなっているのだろう。変速レバーが手元についていたり、ATなのにレバーをMT並みに前後左右に動かさないといけなかったり、そんなものがあるとネットで見た。
夢の中のパレード。学校の謎行事。自分はそういったものは全く馴染めなかったが、あれを楽しんでしまう人間もいたのだ。
人生楽しんだもの勝ち。という人もいるし、自分もつい最近までそう思っていた。
だけど今はそんなに刹那的になるな、疑問に思うなら、ちゃんと考えてけりをつけろ、自分の筋を通せ、と思う。
ゲームの夢は仲間が障害になるならひとりで進むしかない。
最近ネットや本で感じたこと:
(その1)YouTubeの番組を観る。注・かなり閲覧注意な内容です。
[毒親 精神的に未熟な人?]精神科医と漫画『血の轍』を読んでみた/漫画さんぽ ゲームさんぽ/ライブドアニュース
番組の内容は漫画家自身の毒親体験を元にした漫画を精神科医と一緒に読むもの。
重い。重すぎる。私の個人的な体験がフラッシュバックして気分が悪くなった。頭の中にいろんな考えが侵入してきてしばらく寝込んだ。
これを書いている今も思い出してしまい、かなり気分が悪い。
参考になったこと。人間は罪悪感を抱え込んで成長するもの。毒親などのある種の人間はそれができない。
確かにそうだ。私のまわりには苦情を言われてもニコニコしている人や、攻撃されたと思って反撃に出る人が多かった。
そういう人は、たいてい子どもっぽい。
罪悪感や矛盾を抱え込めないと大人になれない?
抱え込む。自分で受け止める。身体を使っているな。精神的な話なのに変な言い方だけれども。
子どもっぽい彼らは物事に対してかなりの距離がある、何があっても他人事だ。客観的なクズ?
そこまで思ってギブアップ。もうお腹いっぱいだ。危険な傾向なので離れる。
思い出す。昔カウンセラーに「あなたの母親は宗教がなくてもかなり問題のある人だ」と言われた。
当時はああそうなのか、そういう意見って大事だな、なんてぼんやりと思ったが、今は、それを言われたからってどうすることもできない、どうせえっちゅうねん。といった感じ。
困っているときに意見を言われても困る。正解など傷つくだけで役に立たない。
(その2)本を読んで。
「ブロンテ姉妹 ・人と思想」(青山誠子著 清水書院)
彼らは父親を除いて皆早死にしている。30代や20代で亡くなっている。
私が気になったのは死に臨む彼らの態度だ。
作家であったブロンテ3姉妹は、死を受け入れて穏やかに、そして超然として亡くなっている。
3姉妹の真ん中のエミリは病気を我がこととして受け止めて、医者にかかることを拒否し、最後まで家事をして亡くなっている。末の妹のアンは看病してくれる姉を励まし続けて亡くなっている。
3姉妹の一番上のシャーロットは皆を看病した後に旦那に看取られて亡くなる。わりと穏やかな最期。
それと対照的なのがきょうだいで唯一の男であったブランウェルだ。
受験に失敗し、郷里に帰ってきたあと、酒と薬物に溺れて結核で亡くなっている。
なぜだろう。3姉妹のほうは女とはこうであらなければならない、というのに抗って生きている。
ただ抗いながらもその役割を果たしている。しなやかだ。
それにたいして男のブランウェルのほうは、男はこうあらねばならない、こう生きなければならない、という世間の期待に応えるのに失敗したが、それの代わりになるものを見いだせなかった。
それで逃げ場がなくつぶれた。そういうことでは。逃げ場というか居場所がない。
女性のほうは社会進出の機運という新しい流れがあったが、男性のほうは昔ながらの考え方しかなかった。
これは参考になりそうだ。
適応しようと努力したらつぶれるだけ。むしろ外に向かう。